俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ポール・モーリア「涙のトッカータ」

唐突ですが、僕は今のところずっと一人暮らしをしてます。独身のまんま颯爽と歳をとってゆく、それも悪くないかなあ…なんてつぶやきながら。

で、このまんま歳をとっていくとして、心配なことがいくつかあって、そのひとつが、歳をとったらどんな音楽を聴けばいいんだろう、ということです。いや、それ考えると夜、目が覚めちゃったりして。

で考えるのが、60~70年代のイージーリスニング。カラベリときらめくストリングス、とか101ストリングスとか、あの辺、興味はあるけど未開拓のままという分野で、ああいうのを追究すると面白いんじゃないかなあ。

中学生の頃ですかね、ローカルFMのDJ番組を聴いていました。あるとき、番組のリスナーである高校生くらいの人たちを招いて座談会が行われました。いつも番組にリクエスト葉書を書く常連の若い人を何人かスタジオに呼んで、レコードをかけて好きなことを言ってもらう、という企画ですね。なにしろ、70年代中ごろの話ですからね。レッド・ツェッペリンをかけて「ジミー・ペイジのギターに愛を感じます」なんて、背伸びした発言をする高校生たち。でもそのなかで、僕にとって一番衝撃的だったのは、渋くイージーリスニングについて薀蓄をかたむける男の子でした。他の出演者がハードロックだ、プログレだ、というなかにあって、「そういうのもまあ認めますが…音楽として残っていくのはイージーリスニングなんじゃないでしょうか」なんて、あくまで譲らないんですね。16か17の高校生がです。他の出演者たちが渋谷陽一さんや大貫憲章さんの発言とそっくり同じことを口にしていたのと同様、コレも誰か大人の言ったことの受け売りだったんでしょうね。でもそのころから、都会に行ったら、受験勉強をしながらイージーリスニングのLPをこつこつと買い集めるオトナな高校生がいるんだ、という思い込みが出来上がってしまいました。

そのころからポール・モーリアは身近だったですね。『グレーテスト・ヒッツ』ぐらいはうちにもありました。ポール・モーリアというと「オリーヴの首飾り」、という人が多いと思いますが、「涙のトッカータ」も、負けず劣らず叙情的ないい曲ですよ。僕はこれが好きだな。こういうソフトで繊細な音楽が、あの時代、ポール・モーリア・グランド・オーケストラのほかにいっぱいあったんでしょうか。それ考えると、居ても立っても居られませんね。これからは、若い人が70年代のおじさんやおばさんのファッションをしてイージーリスニングで踊るとか、そういうのが流行らないかなあ。いや、別に流行らなくてもいいんですが、いいよなあ…iTunesのなかで静かに鳴っています。