俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

舟木一夫「高校三年生」

遠藤実さんが亡くなりました。

遠藤さんというとミノルフォンレコードの創業者で、その「ミノルフォン」というネーミングがなければ、近田春夫&ハルヲフォンというバンド名もなかったわけで。あんまりしつこく言いたくないですが、ハルヲフォンはほんと、僕の人生観を根底からくつがえしたバンドです。それを思うと、「演歌」という意匠にさして切実な関心のない僕でさえ、確実に遠藤実さんの影響下にあるのです。

遠藤実さん。一曲挙げるとすれば、やはりコレなんじゃないでしょうか。舟木一夫「高校三年生」。

以前、NHK-BSの番組で、遠藤さんが貧しさのため学校へ行けず、そのため学園生活というものへの強い憧れが生じて、それが数々の名曲に結実した、と紹介されていました。森昌子さんのものもそうですが、代表曲といえば何と言ったって舟木一夫さんでしょう。赤い夕陽が校舎を染めて、楡の木陰にはずむ声。暮れ行く秋のキャンパス。一部、上級学校を目指す者を除けば、大半が就職先を決め、もう高校生活も残りわずか。そんな情景でしょうか。

なにせ昭和37年の高校三年生ですからね。地方ではまだまだ貧しさのため高校へ進学できない人がいっぱいいた時代と思われます。そんな時代だからこそでしょうね。仲間とともに学んだ日々への、この純な思い。道は別れていくけれど、いつか懐かしく思い出すだろう、という。

ヒットした当時は、僕は産まれたばかりだったわけですけれど、物心ついたときにはこの曲をすでに知っていました。それくらい当時の庶民に愛された曲です。当時の庶民、という言い方が白々しければ、つまり僕の父や母のことね。二人とも高校を出ていません。学歴のために苦労する、というのがどういうことなのか、僕は小学校1,2年の頃にはもうわかっていました。だから思うんです。いくつもの学校へ行かせてもらって好きな勉強ができた僕は、なんて幸せなんだろう。そりゃ「泣いた日もある 恨んだことも」ですけどね。今となってはみーんないい思い出。僕らフォークダンスの手を取れば、甘く匂うよ黒髪が、って、フォークダンスこそしませんでしたけど、友達もいっぱい出来たし、楽しかったなあ。