俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ドナドナ~北海道にいて中央線沿線の文化を夢見る

 私は昭和二年の初夏、牛込鶴巻町の南越館といふ下宿屋からこの荻窪に引越してきた。その頃、文学青年たちの間では、電車で渋谷に便利なところとか、または新宿や池袋の郊外などに引っ越していくことが流行のやうになってゐた。新宿郊外の中央線沿線方面には三流作家が移り、大森方面には流行作家が移つて行く。それが常識だと言ふ者がゐた。関東大震災がきつかけで、東京も広くなってゐると思ふやうになつた。ことに中央線は、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪など、御大典記念として小刻みに駅が出来たので、市民の散らばつて行く速度が出た。新開地での暮らしは気楽なやうに思はれた。荻窪方面など昼間にドテラを着て歩いてゐても、近所の者が後指を指すやうなことはないと言ふ者がゐた。貧乏な文学青年を標榜する者には好都合のところである。それに私は大震災以前に、早稲田の文科の学生の頃、荻窪には何度か来て大体の地形や方角など知つてゐた。

 

荻窪風土記 (新潮文庫)

荻窪風土記 (新潮文庫)

 

  これ、文庫本で持ってるんだっけか。パソコン部屋の本の山のなかにあるのか。そんな気がするが、図書館で初版本を借りてきた。

 まだ全部読んでないが、だいぶ気分がパサパサと味気なく乾いているので、こんなのを読んで栄養を与えたいと思う。

 関東大震災のことがくわしく書いてあって、それで六年前、よそさまのブログで知ったのだったと思う。そのとき文庫本を買って読んだ? どうも記憶がはっきりしない。すいすい読めるので、あるいは一回読んだのかもしれない。

 東京には住んだことがなく、もう仕事で行くこともなくなってしまった。仕事で上京していたころも、新宿か渋谷かと言われれば、もう圧倒的に渋谷しか行かなかった。だから、新宿から中央線に乗って…という時間の過ごし方もしたことはない。…いや、高円寺とか吉祥寺は何回か行った記憶がある。ロシア語の本をどっさりおいている古本屋があるとか、今になって知っても、もうしようがない。

 中央線ジャズ、という言葉も、だからぼくは概念として知っているだけで、そういった街々のライヴハウスのたぐいは雑誌で名前を知っているだけだ。

 前に書いたけど、北海道に住んでいてどうにもならないのは、彼我の文化水準の差で、たとえば北海道のことをジャズ豊潤の地と呼んでくれる人があるのはうれしいけれど、それはお世辞半分に受け取るのが正しかろう。ましてこれが学問となると、よほど主体的に努力を継続しない限り、自分が学問だと思ってやっていることの世界がどんどんと狭くなってゆく。上の引用では「文学青年」となっているけれど、バンドマンでも、大学院生でも、多くの若い人が集まって貧乏も苦にせず切磋琢磨している東京のレベルは、やはりすさまじく高く見える。

 だからと言って不平を言っていてもはじまらないので、ここで出来ることを続ける以外にないのだけれど。たとえば外国語のレベルを維持する、読んでいない原書を少しでも読む、機会があれば論文を投稿する、やれることはいろいろある。それだけの努力をしたうえで彼我に差があれば、それはもう仕方がない。

 ぼくはドテラは着ないけれど、おととしの秋に買った安物ののびのびするジャケットは、普段着と割り切って足かけ三年、雪の日もみぞれの日も着て歩いた。傷むのが惜しくないので本当によく着て、じゅうぶんにもとを取った。でこの春は、通販のジャケット、うんと安いのを新調。これは来年春まで来たら十分だろう。


Betsuni Nanmo Klezmer, "Dona Dona" ベツニナンモクレズマー”ドナドナ”

田舎に生まれて洋書読みの達人になれるかどうかをめぐって

 しかし、経専の書庫とはべつに、研究室に未整理のままおかれていた「小川文庫」をみたとき、これを使えばなんとかやっていけるという感じがして、就任を承諾した。「小川文庫」は、いまでは経済学部の蔵書全体のなかに組み込まれてしまって、全貌をとらえることは困難だが、イギリス経済思想の主流を、マーカンティリズムからケンブリッジ学派まで、ふるいものはりっぱな装丁で、よくそろえていた。ロックの『統治論』や、リカードゥ派社会主義の大部分まで、ふくまれていたのである。一宮の小川という実業家から酒井学部長が買ったものだということで、学部長としての最大の功績というべきであろう。ただ、最近になって、偶然の機会に、伊東光晴がもっている『道徳感情論』初版に、小川文庫の蔵書票がはってあるのを発見した。伊東は、大倉財閥の人の個人蔵書を買ったのだというから、もとの小川文庫はもっと幅がひろくて、そのうちから、いわゆる経済学部むきのものだけが、名古屋にきたのかもしれない。

 

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

 

  水田教授が名古屋大学に着任する際のいきさつ。今では考えられないことだが、「いい気なもので、こちらが名古屋大学法経学部を審査するようなつもりでいた」という。今ほど研究者の予備軍の層が厚くない時代でもあったせいだろう。ともあれ、本があるかないかは文系研究者にとっては死活問題だ。いったんはその法経学部の図書館に足を踏み入れ、「これはだめだ」と思ったが、上記の「小川文庫」を見て気が変わったという、そんな話。昭和25年というから、大昔だ。

 ぼくがこの本を買ったのは、大学を出てお勤めしていた時期だったらしいことはぼんやり思い出すのだが、ということは、同じ書店で山口昌男『本の神話学』を買ったのと同じころだ。ぼくが本狂いになったのは比較的遅くて、山口氏のその本の影響が大きいことは自分でもわかっていたが、同時期にこんなものも読んでいて、それで洋書がぎっしりと並んだ大きな大学図書館へのあこがれが生じた気はたしかにする。

 そのあこがれを、十代のうちに持てれば、これは強い。山口氏の場合、あるいは柳瀬尚樹氏の場合、北海道のへき地からあんな洋書読みの達人が出たというのが、あり得ない奇跡のように思える、この感覚は内地の人にはちょっとわからないかもしれない。どこでそんな刺激を得るのか。

 ぼくの地元にも小さな本屋はあるけれど、そこで出会える本は本当に限られていた。国鉄で何十キロ先の街へ出て比較的大きな本屋を訪ねても、そこで洋書なり、洋書への入門書なりに出会えるとは必ずしも限らない。そもそも、翻訳書で読める外国文学を原書で読むということ自体、まわりで行われていない。まして、学術書を原典にさかのぼって調べるなど、高校生ぐらいの子供には、もう想像すらつかない。だから、美幌/網走の山口氏や根室の柳瀬氏がああした洋書読みの道へすんなり入って行ったというのが、ぼくにはそんなにたやすいことだったとは思えないのだ。

 地方でも、資産家が洋書をいっぱい持っている話はむかしからあるにはあって、上の「小川文庫」はその例だ。

 あんまりむかしを振り返っても仕方ないが、明け方に見る夢はみんな学生だったころのことをぐるぐる回っている夢ばかりだ。今朝の夢では三つの大学に合格し、入学したらそこは高校のようなところで、そこを卒業して就職列車で各駅に一人ずつおろされてゆくのだ。降りるはずの駅を通り過ぎた、しまった…というところで目が覚めた。

 

 


Why Is The Wealth of Nations So Important? Adam Smith and Classical Economics (2010)

 

 

グラスゴウ大学講義

グラスゴウ大学講義

 

 

 

The Correspondence of Adam Smith (Glasgow Edition of the Works and Correspondence of Adam Smith)

The Correspondence of Adam Smith (Glasgow Edition of the Works and Correspondence of Adam Smith)

 
Lectures on Jurisprudence (The Glasgow Edition of the Works and Correspondence of Adam Smith)

Lectures on Jurisprudence (The Glasgow Edition of the Works and Correspondence of Adam Smith)

 

 

 

 

 

 

クールジャパンという背理~自分を「かっこいい」と言ってる時点でかっこよくないよという指摘

 That changed with METI's Cool Japan project in 2010, which attempted to promote Japanese pop culture overseas. Fukasawa attributes the failure of this scheme to the government's lack of self-awarenes: Once you refer to yourself as being "cool," you aren't.

 『ジャパン・タイムズ』日曜版、4月2日付"Media Mix"欄は"What, if anything, makes Japan unique?"。例によって例の如くなんだろうけど、近年のTVでの日本礼賛番組の多さを俎上に挙げたもの。主語のthatは「近年までそうした番組はなく、あったとしても、TBSの『ここがヘンだよ日本人』のように、疑念をのべるものぐらいだった」ことを指す。それが経済産業省のクールジャパン戦略で変わってきたけれど、自分のことを「かっこいい」と言っている時点でかっこよくないんじゃないか、と日本人の批評家の意見を紹介している。

 ぼくはこの問題にさして切実な関心があるほうではないから深入りせずに置くが、日本を面白いと思って訪れる外国人のなかにだって、日本的なone-sided kindnessを不快に思う人もいる。自分の美点を過度に熱く言い立てて無理強いしないことこそがcoolということなんじゃないか。NHK-BSの『クール・ジャパン』はその種の番組の草分けだけれど、「クールかノット・クールか」が必ず問われ、まだしも自己批評の眼を備えているかも知れない。

 語学徒生活を一か月延長、とここに書いたはいいが、それですっかり安心して、放心しているうちにもう7日。今朝は未明から起きて、慣れないエクセルを操作して、そのあとネットのラジオのクラシック局をつけっぱなしにして仮眠。10時半ごろ起きて、老母を買い物に連れていった。で、午後、『ジャパン・タイムズ』。『TIME』のほうはひと冬分たまってしまった。他の勉強をしながらだとキツい。でも、一応目を通すのだ。

 単語、少し挙げておく。

 pandemonium 阿鼻叫喚、修羅場, quandary 板挟み,  reservation 疑念、留保, dud 不発弾、外れ, char イワナ, quotient 比率, banter ひやかし、からかい, abattoir 食肉処理場, unconscionable 道義的に許せない

 パソコン、今のうちに次はどんなのがいいかいろいろ調べているが、調べているうちに、ええい思い切ってMacbook買っちゃえ、とならないように、ブレーキを踏みつつ。

 ロシア語の単語帳も見なければならず、まああせらず。秋に買い込んだ大学ノートが10冊以上残ってしまった。


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枯れ野のなかの書庫~九階にある研究室から東京の街を見おろしながら、とさる教授はいう

 いくつかの偶然が重なって、私は今九階にある研究室から海の方向に東京の街を見おろしながら本を読んでいる。そして、自分なりに充分に楽しんでいる。本来そう言えばすんでしまうはずのことが、しかしながら、今ではそう説明するだけではすまなくなっている。問題は、本を楽しんでいる自分を見つめている私の中のもうひとつの眼の存在だ。

 

文化と精読―新しい文学入門

文化と精読―新しい文学入門

 

 

  これは出てからこんなに経つのか。十五年近く前だ。

 自分がそういう問題意識を十全に共有していたといい募るつもりはない。しかし、2000年代にぼくが書いたわずかな数の論文は、ぜんぶこれに方向づけられている。

 ぼくが英文学を体系的に学んだことがあるとは言えないので、内容を咀嚼できた自信はまったくない。が、冒頭のここだけでも、問題提起としてはもうじゅうぶんに強烈だった。長々引用するつもりはないけれど、むかしはこんなことは考える必要がなかったことを振り返りつつ、次のパラグラフはこう始まる。

それに、仕事柄、本を読むという行為を自己充足的な快楽の雰囲気のうちに解消させて、それで能事終われりとするわけにはいかない理由がある。大学という研究と教育のための制度の中にいる以上は、教師として学生に向かうということと文学を読む自分自身を対象化するということを義務として引き受けねばならないのであって、文学は教えられないという姿勢を誇示するわけにはいかないからだ。かつてはそのように考える必要などなかったのかもしれないが、今ではもう純粋に自足した享受者をきどるという生き方は通用しないであろう。

 いや、だからそうなんだって。一部の特権的な大先生は自己充足的な享受者であることを誇示しても説得力があるだろうけれど、それ未満の「学問的下級霊」(©村上春樹)がこの世知辛いご時世にそのまねをしたところで、その先には果てしのない縮小再生産のプロセスが待っているだけなんじゃないか。 

 …というか、この本を今日書庫から持ってきたのは、冒頭の「九階にある研究室」というところがうらやましくなったからだ。前にも書いたとおり、今日び、広壮なキャンパスのなかに居室を与えられても、そこでじっくり研究ができるなどという保証は今やどこにもない。もう大学に籍を置くことのない自分にとっては「研究室」とは「心のありよう state of mind」であって、物理的な空間としては、本と、机と、パソコンが置ける小さな部屋が、そして静かな未明の数時間があればそれでよい、それは本当にそう思っている。それでもこの時期、あちこちの研究室の引っ越しの話がきこえてくると、やはり、ちょっとうらやましい。七年ほどこの本を納めてあった書庫は、雪がとけて枯れ野のようになった空き地にポツンとあって、それでもぼくの数少ない知的資産だ。

 数年がかりのしごとは、ひょっとして今が山なのかもしれないが、まあゆっくりいこう。今さらながら、紙の資料を見つつ二つ以上のソフトウエアを小さな画面で操作するのはひどく面倒で、マルチディスプレイだとはかどる気がする。で、Surface Pro 3のドッキング・ステーション、買うかどうか検討など。おもちゃがわりに安価な中古マックブックを買う計画は、見合わせ。


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きみ、労働価値説は損だよ~あの早春はガルブレイスを読んでいた

[…]いつからはじまったのかしらないが、一橋会では毎年、教官に出題と審査を依頼して、三科(予科、専門部、本科)の学生から懸賞論文を募集していた。三科の学生といっても、水準からすれば、実質的には学部学生のためのものであって、ぼくが学部一年のときは、高島、山田両助教授がそれぞれ「経済学の政治的性格」と「競争価格と公定価格」という題をだした。ぼくがヴェーバーのものを少し集中的に読んだのは、そのためであったらしい。ぼくは結局書けないで、前者に石川滋、後者に長沢惟恭が入選した。石川はぐうぜんにあった山田雄三と論文の内容について話しあったあと、新聞部室にきて、「雄ちゃん、聚楽で晩飯おごってくれて、『君、労働価値論は損だよ』ていうんだ、いい教師だな」と、いくらかの皮肉をこめて語っていた[…]

 

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

 

  ここもやけに印象に残る一節で、労働価値論はしょせんスコラ的な哲学議論なので、論文の題材としては損だ、とプロの経済学者が言った例として、ぼくの脳裏に焼き付いてしまった。

 この本を買ったのは、サラリーマン時代だと思うけれど、この本をその後すり切れるほど読むことになったのは、こんな学問的香気にあふれた学生生活を送れなかった代償行為としてだったのは、もうはっきりしている。そしてその後大学に入り直したとき、もう専攻を替えて、経済学とは縁を切ったはずが、水田教授がこの本で論じているような社会思想史や経済学史の本は、その後も思い出したように読みかじるのがやめられないのであった。

 二度目の大学生になったとき、語学をやったのは何度も書いているけれど、その時も最初は、経済の学生だった頃の素養がぜんぜん捨てきれず、古本屋で投げ売りされていたガルブレイスの選集か何かの端本をかばんに詰めて持って行き、最初に入ったアパートで読んでいた。そうすると、ガルブレイスの出身国であるカナダでは、経済的な必要が生じない限り、農民は結婚をしない傾向がある、だから、いい歳をした兄弟姉妹が同じ家にいて農作業をしている、といったことが書かれていた。入学してすぐ読まされたある文学作品がまさにそんなお話だったので、たいそう驚いたのだった。もう少し世渡りの知恵があれば、草案かレジュメを書いて教授のところへ持って行き、紀要論文か何かに使ってください、と売り込みをしたかもしれない。

 いろんなものが、どんどん遠ざかってゆく。しかしとりあえずまた春が巡りきて、毎日、笑ってご飯を食べている。どこか図書館にあるんじゃないか、あのガルブレイス。ぜんぜんあせることはないので、またどこかへ行ったら。

 ↓これじゃないか。

 

ガルブレイスわが人生を語る

ガルブレイスわが人生を語る

 

 

 

ガルブレイス著作集〈8〉ある自由主義者の肖像 (1980年)

ガルブレイス著作集〈8〉ある自由主義者の肖像 (1980年)

 


Should you buy a Laptop Tablet or Desktop?

 

 

 

昭和二十五年四月の着任のお話

 さいわいに大学の昇格や増設が、全国で進行中だったので、そのひとつであった北海道大学からおそらく新川士郎[…]をつうじて、高島さんに依頼があり、北海道という土地がすきだったぼくは、いくつもりになった。ところが、ここでまた杉本栄一があらわれる。「だめだよ、そんなところにいったら、いなかものになる」というのである。北大だけでなく、地方の大学にたいしてたいへん失礼ないいかたではあるが、日本における研究・教育条件の地域格差は、いまでも否定できないし、とくにヨーロッパ思想史の研究にとって、図書館の貧困は致命的であった。

 杉本にそういわれてまもなく、図書館の書庫(メンガー文庫)で、早川泰正にあった。早川は経済研究所の助手だったが、研究所の事情で、やはり転出しなければならなかったのである。かれは札幌出身だったから、北大の話をすると、それじゃいくか、ということになり、経済原論担当の助教授として赴任した。ずっとあとになって、学術会議で新川にこのいきさつをはなしたら、「あなたが北大にきていたら、あのアダム・スミス研究はうまれなかったでしょうね」といわれた。あるいはそうかもしれないとおもうほど、北海道の条件はわるかった。

 

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

 

  ぼくは生粋の北海道人で、自分の生まれ故郷である北海道がいろんな面で本州からながめて水準の劣った田舎だと思われていることを、ある時期までまったく知らなかった。というか、前にも書いたような気がするが、北海道人は北海道以外の土地を日本だと思っていないふしがあって、かくいう自分も、どっちかと言えばそうなのである。

 この本には、学生時代の(戦前の)北海道旅行のことが好意的に書かれたりしていて、本人が言うとおり、著者は北海道という土地のことを決して嫌いではないと思う。その著者にして、「北海道の条件はわるかった」と書かずにはおれなかった、そのいきさつ。

 ぼくは著者の母校である一橋大学の図書館というのは利用したことがないので、まあ何とも言えないが、現在の時点でも、北大の文系図書の蔵書は、東京の大学に比べて劣っているのだろうか。昨日引いたエリアーデはもとは辺境の地ルーマニアの人で、他人がすでに行っている指摘を再度するという失態を犯さないために、ヨーロッパの大きな大学の図書館を利用しないうちは著書を刊行しない、といったことを戦後すぐの日記に書いている。上に書かれている「北海道の条件はわるかった」という事態は、それとよく似たようなことなのだろうか。

 なんにせよ、この本は本当に繰り返して読んだ。二年前の今ごろのエントリーでも触れたけれど、この人は名古屋大学に赴任し、研究室にベッドを持ち込んで寝泊まりするようになる。

昭和二十五年四月に着任して、当時は桜山にあった名古屋経済専門学校の校舎を使って、経済学史の講義をはじめたのだが、戦災都市の公務員住宅は建設がまにあわず、しばらく桜鳴寮という学生寮の一室で暮らしたのち、研究室にベッドをもちこんだ。ぼくの研究室は、ほそい道をへだててて、学生寮の南端に面していたから、そこの住人には、ぼくが夜ねているかおきているかは、すぐわかるのであった。もっとも、当時はそういうことを意識していたわけではなく、その住人のひとりであった大江志乃夫[…]が、深夜にぼくの研究室の燈火をみて、対抗意識をかきたてられたという話をきいたのは、かなりあとのことである。

 この部分。大江志乃夫教授がまだ学生だったという時代の、着任したばかりの若い助教授へのこの燃えるような対抗意識を、まるで自分のことのように感ずる時期があった。

 「着任」というのがキーワードだろうか。この時期、SNSでは「○○大学に着任しました」というあいさつが飛び交っているらしい。ぼくはもはやそういう場所からずっと遠いところにいて、むかしのこんな話を読み返している。


Purpose and Advantages of a Docking Station

 

Truth~長いこと捜しあぐねていた『エリアーデ日記』の一節を見つけた夜

[…]私は辺境文化に属している。そこではディレッタンティズムと即興は致命的であるといっていい。私は、劣等感に満ち、絶えず《今現在の》情報を持っていないのではないかという恐怖の下で、学者生活に入った。そのことを自覚してからというもの、その問題について書かれたほとんど全てのものを読んだと確信できないうちは原稿を印刷屋に送れなくなった。ずっと以前に知られていることを《発見》し、他人によってなされた指摘をくり返すことへの恐怖、特にルーマニアの図書館には欠けているバック・ナンバー集の内に埋もれている基本的文献を知らないでいることへの怖さ。このためにヨーロッパの大きな図書館で夏の一部を過ごさないうちは敢てテキストを公けにしないで来たのである。

 

  これはいつ読んだのかというと、二度目の大学生活のころではないだろうか。試験期間以外は閑散としている図書館がその頃のぼくの勉強部屋兼遊び場で、語学の自主勉強のあいまに、ちょっと薄暗い開架の書棚の間をさまよい、こんな本を引き抜いては読みふけっていた。

 どうもその頃、この部分を読んでいた、そしてきわめて強い印象を受けたのじゃなかっただろうか。本当にずっとあとになって、この個所を読みたいがばかりに、出版社に直接電話して本を取り寄せた(アマゾンはすでにあったはずなのに、なぜそんなことをしたのかは、よく思い出せない)。しかし、その時はこの個所をついに探せず、研究報告の話のマクラに使おうと思っていたのが使えずに終わり、なんだかよくわからない発表になってしまったのだった。

 ぼくは東京の大学で研究したことがないから、この気持ちは痛いほどよくわかるし、同じようなへまを演じた経験の気まずさは、生涯消えない。ぼくも本当に、世界初の発見をしたつもりだった。が、学問の世界は広く、深い。北海道の大学の院生だったぼくごときが思いつくことは、とうにヨーロッパかアメリカの誰かが字にしているのだ。そのことを真剣に伝えようとした報告だったのだけれど、これを引用できなかったばかりに、論点がボケボケになり、ちょっと違う議論になってしまった。これ自体も、いま思い出すとなんだか気まずい。

 メモ代わりに引いておく。

 ぼくのやっていること、ぼくのたまに書くもの、いつか出るかもしれない本、世間の基準からすれば小さな小さなしごとにすぎない。だから、あまり気負ってもしょうがないのだけれど、T-スクエアの「Truth」が、心の中で流れっぱなしだ。


TRUTH (LIVE) T-SQUARE

 

 

 

Text Counter Text: Rereadings in Russian Literary History

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