俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

わな~「いつか」はいつ来るかを巡って

 見渡せば、私の周囲は「いつか」の夢でいっぱいだ。いつか着る服。いつか読む本。いつか行きたい場所。いつかに思いを巡らせ、思うにまかせぬ今を慰めてきた。気づけば夢や欲望は際限なく広がり、今度は何もかもが足りなく思えてくる。

 だが、いつかっていつだ?人生はしょせん、今日の積み重ねである。

 

アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。
 

  本棚から、まだ出てくる、英米文学本。二つ目の大学で、ロシア語を勉強しつつ英語の本をポツリポツリ読んでいたころ、書い集めた本たち。ここ二年ほどだいぶやっつけたたつもりでいたのは一部にすぎなくて、まだかなりある。ヘンリー・ジェイムズなんか、ぜんぜん手付かずだ。やはり、いつか読むつもりで買ったもの。

 で、そのいつかって、いったいいつなのかという話。ローレンスの"England,my England"は、たしか「読めそうだな」と思って買ったのだ。それを持って街を歩いていたときの光景を今でも不思議に覚えている。なら、当時間借りしていた部屋に帰ってすぐ読みはじめたかと言うと、当時はロシア語文法を大急ぎで仕上げることに忙しく、本棚に納めて、今に至っているのだった。

 そのロシア語文法の復習を今日もやっていた。二年前、あの二つ目の母校へ行ったとき、定年を迎えた恩師を囲んで、現役の学生さんや教授たちと歓談した。非常勤講師のロシア人女性もいた。当時思うにまかせなかったロシア語をあやつるのは多少うまくなったかなと思いつつ話をしたが、あのときぼくにとっての「いつか」はすでに訪れ、実現していたのだろうか。

 いや、当時買い集めていた英語小説をあらかた読んでしまうというときでも来ない限り、あの頃のぼくにとっての「いつか」は、今に至るも「いつか」のままだろう。ロシア語の文法問題も、むろん大学院を出たぼくには易しすぎる、と言いたいところだが、動詞の人称変化を数カ所間違える。

 井上靖あすなろ物語』も思い出深い小説で、「あすなろ」とはヒノキ科の常葉高木で、ヒノキに似るがヒノキではない。「あすはヒノキになろう」という語源からこの名があるという。去年、急に読み返したくなって書棚をかなり捜したが見つからず。中学の時夢中で読んだ本の一冊で、なかに、纏足(てんそく)や刺青(いれずみ)などの研究ばかりしている風変わりな医学者が出てくるのだ。なにか、自分もああなるんじゃないか、という予感がしたのは、当たらなかったともいえるし、ある意味大当たりだったともいえる。

 なぜ学問に志すのか。あまり突き詰めて書かずにおくが、いつか学問の深奥を極めたいという憧れがあるからじゃないか。ある者はかなりの高みを上り詰めつつあり、ぼくのようなのはまだすそ野のほうでうろうろしているが、みんな、その「いつか」がまだ来ないからこそ、外国語の本なんか読んでいる。読むべき本は増えてゆくばかりで、「いつか」はいつまでたっても近づいてこない。その意味で、きみもあすなろ、ぼくもあすなろだ。


わな キャンディーズ

 

Modern Classics Lucky Jim (Penguin Modern Classics)

Modern Classics Lucky Jim (Penguin Modern Classics)

 

 

 

The Name Of The Rose

The Name Of The Rose

 

 

 

Henry James: Travel Writings 1: Great Britain and America (Library of America)

Henry James: Travel Writings 1: Great Britain and America (Library of America)

 
Henry James:Ambssdrs (Landmarks of World Literature)

Henry James:Ambssdrs (Landmarks of World Literature)

 

 

 

Modern Classics Penguin Essays of George Orwell (Penguin Modern Classics)

Modern Classics Penguin Essays of George Orwell (Penguin Modern Classics)

 

 

 

 

 

Moby Dick: or, the White Whale (English Edition)

Moby Dick: or, the White Whale (English Edition)

 

 

 

England: My England, and Other Stories

England: My England, and Other Stories

 

 

 

Tess of the d'Urbervilles (English Edition)
 

 

 

サヴィンコフ『テロリスト群像』の一節~Macにもどる可能性を考える春の雪の日

 シヴェイツェルは、最初の一言から静かな釣り合いのとれた力、という印象を与えた。ポコチーロフやカリャーエフに著しかった熱狂的な陶酔は、彼には感じられなかった。しかしその話しぶりや黙っている時の様子、意見を述べる時の落ちつき、悠揚迫らぬ態度によって、いつのまにか信頼を起こさせるのだった。わたしとの、この最初の会見では、ほんの僅かしか、それも仕事の話しかしなかった。

 

テロリスト群像〈上〉 (岩波現代文庫)

テロリスト群像〈上〉 (岩波現代文庫)

 
テロリスト群像〈下〉 (岩波現代文庫)

テロリスト群像〈下〉 (岩波現代文庫)

 

  「人望」とか「信用」とかの生物学的な根拠。見た目や物腰の、こざっぱりした感じのよさや落ち着き。これは理屈じゃない。生理的なものだ。ぼくはオカルトや超能力のたぐいは信じないが、それと境を接する力が人間にはあって、それを「魅力」と呼ぶ。この「魅」の字が意味するものは、多分にわれわれが「魂」を持ついきものであることに由来するだろう。「魅力」ある人に「魅かれる」のは、理屈ではどうにもならない。そういうものの例として拾っておく。

 ついでに英語も。

charisma ▶noun1[mass noun] compelling attractiveness or charm that can inspire devotion in others:

2 (pl.charismata) a divinely conferred power or talent:

 

Oxford Dictionary of English

Oxford Dictionary of English

 

  それにしても、「テロリスト」の意味がすっかり変わっているのにやはり驚く。上掲の書では、テロとは要人や政敵の暗殺のことだ。それが今では、不特定多数の市井の人々の生命や財産に危害を加えることの意味になっている。

 明け方起き出して、CNNを観ていたら、米国では新たな大統領令が発令されたとかで、さきの大統領令で入国禁止の対象国となった7か国からイラクが除かれ、しかもその他の国の出身者でもグリーンカード保持者などは対象としないらしい。アメリカにおける行政と司法の力関係を見るよい機会だから、しばらく注意してみておこう。

 ところで、マッキントッシュに今さらながらもどる可能性を最近検討しつつある。デスクトップのほうのPCが使い始めてまる5年で、すこし挙動が不安な時がある。ITunesのアップデートなどがうまくいかず、再起動するとまっくらな画面にポインターだけが見える状態、ということが数回あった。ここでは責任を負えないので書かないでおくが、そういうときの修復方法をSurfaceで調べて、何とか脱した。

 今すぐじゃないにしても、パソコンが10年も使えると考えるのはまったく現実的じゃないから、新調するとしたらどうするかということを考える。テレビの機能はいらない。動画の編集などもやらない。Officeは使う。大画面で動画サイトを見ることも多い。でiTunesも使っているから、Macに戻るという手もあるのじゃないか。

 MacならNisus Writerという強力なワープロソフトが使えて、もしまた必要があれば、むかし作った教材がそのまま使えそうだ。もうそんな機会もすぐにはないけれど。

 動画、こんなの貼っておく。


Why you should buy an old Mac Pro in 2017

宵待草~〈いじらしさ〉をめぐって

  はじめて糸ひきに出る子をシンコ(新子)といったが、これは小学校四年(当時の義務教育)を出たか出ない十一,二歳のまだいたいけな子供である。それでも先輩格の「おねえさん」たちから教えられて髪を桃割れにし、赤い腰巻きにワラジをはいて、荷物も一人前に袈裟掛けにしょっている姿は、それはいじらしいものであった。[…]

 

あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史 (角川文庫)

あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史 (角川文庫)

 

  これ読み切れないうちに返しに行くんだが、買ってもいいな。なまじ外国語なんか読むより、こういうものを読んでおくべきだったのかもしれず、過去のことはもう仕方ないけれど、日本経済史や経営史にかかわる本は、今でもおもしろく読めたりして、自分でも意外だ。

 上の個所は、身近に姪たちを見てきた身にはずいぶん応える。ぼくの一族も決してお金持ちじゃないから、せいいっぱいの支度をして子を送り出す親や身内の気持ちはわかる。つい先日、下の子を送り出したばかり。甲斐性のない伯父としてはパソコンなども、決して高いものは買ってやれないのだけれど、それを大喜びで大事そうに抱えて持って行った。まだうちには、あの子らが小さな頃来ては遊んで行ったときの、落書きやら何やら、大切にとってある。

 下記の本も。終戦の年、樺太ソ連軍に侵攻されたさい、真岡郵便局の電話交換手の若い女子らが決死隊として残留し、青酸カリを服毒して自決した事件のこと。ぼくも人並み以上には知らず、ロシア語教師だったころもしこの文庫があれば、これをネタ本に一席打っていただろう。なにか野麦峠本に共通する、少女らの〈いじらしさ〉のみなぎりかたがもう半端ではない。

永訣の朝 (河出文庫)

永訣の朝 (河出文庫)

 

  そうなのだ。少女と国家との関係、そこに立ち上る〈いじらしさ〉こそが問われなくてはならないんじゃないだろうか。『あゝ野麦峠』のほうには

野麦峠はダテには越さぬ

 一つァ―身のため親のため

〽男軍人女は工女

 糸を引くのも国のため

 という歌が登場するが、『永訣の朝』のほうも、

「わたしは決死隊として残ることにしたけれど、あなたはどうするの。お父さんもいるんだから安心でしょう。必ず帰すから一緒に残らない?」

「わたしも残ります」

といったやり取りが登場し、なんかこのあたりをパラパラ読んでいるだけで、もうなんだかたまらなくなる。

 いつだか、高校の文化祭の仮装パレードに行きあったとき、都会の子らに比べてあか抜けない、小柄な女子たちを目の当たりにして、やはりその〈いじらしさ〉にふいに打たれて、数日ショックを引きずっていたことがある。

 で、以下のものは未見だが、手に入らないかなあ。

喜多郎の十五少女漂流記 [VHS]

喜多郎の十五少女漂流記 [VHS]

 

  

 

十五少女漂流記 (コバルト文庫)

十五少女漂流記 (コバルト文庫)

 

 


宵待草 ソプラノ 竹久夢二詩 多忠亮曲

 

 

けんかをやめて~recuse oneselfの定訳ってあるのか

 It's easy to use the court. They are using my case to intimidate other people...and scare others not to protest.

 一週遅れで『ジャパン・タイムズ』日曜版(2月26日付)を片付けているが、上の一節はカンボジアの土地紛争の女性活動家の発言。intimidateという動詞がカギ。裁判を利用して、他の人々を怖気づかせる…「一罰百戒」というのをどう訳するか考えていたことがあって、これはピンとくる。

 それにしても、知らない単語というのはなくならない。映画の記事でstoryboardって何なんだろう、と思いながら読んでいたが、これが「絵コンテ」。原発の記事で出てきたdecommissionは動詞で、「廃炉にする」の意。インドの大気汚染の記事で出てくるbronchitisが「気管支炎」。ruseという名詞もさいきん数回目にする。「策略」の意。swabは「モップ」の意味のほかに「綿棒;綿棒で集めた標本」の意で、マレーシアの事件の関連で出てきた。前にも書いたがtake inで「見物に行く」の意。

 それから、これはCNNでアメリカの司法長官のニュースで出てくる語だが、電子辞書のOED、

■recuse oneself (of a judge) excuse oneself from a case because of a potential conflict of interest or lack of impartiality:

 セッションズ長官は、自身のロシア外交官とのやり取りの合法性を捜査する件には当然関わりませんよ、というニュースで使われている。用例も引いておく。

Under existing law, such an allegation required the judge to recuse himself.

 現行法では、そのような申し立ての際には裁判官は自身が審理にかかわることを忌避する必要がある、と訳しておくが、定訳はどうなのかね。リーダーズにrecuse oneselfでは載ってない。

 本を読んでいると、こっちがあとまわしになるが、こうしてほんと定期刊行物を往復しているうち、どっちもだんだん楽になる気がする。とにかく、これまでがあまりにレベルが低すぎた。

 コーヒー屋さんに行って読む、というのをやってもいいのだが、最近はまったくやっていない。うちでやってても、大体同じだ。音楽を聴きながら読書はできないが、疲れたらCDなりアナログ盤なりに逃げられるのも吉。

 ノンアル飲料を買いに夕方外出。三月とはいえ、今日も外は寒かった。来週ぐらいにならないと、本当に冬が終わりつつある実感はわかないかもしれない。


河合奈保子 けんかをやめて

スキップ・ビート~ぼくも「土俵に上がらない男」と呼ばれて

佐藤 柚木麻子の『伊藤くんA to E』[…]という小説があります。

「伊藤くん」は、そこそこの大学を出た千葉の大地主の子供で、予備校の先生をやっている。仕事もクビになったりするけれども、シナリオライターになる夢を持っている。しかし一度もシナリオを書いたことがない。何よりも嫌なのが人に侮辱されることなので、勝負に出てシナリオを書くようなことは決してしない、絶対に土俵に上がらない男。見た目はちょっといい感じだからもてるけど、実はとんでもないやつだ[…]

 

  借りてきた本を、もう返す時期だ。五冊借りてきたうち、一番読みやすいこれすら読んでいない。

 パラパラ見たところ、上の個所に突き当たる。自分も誰かのことをこのようにあげつらいたい気もするし、そういう自分が「土俵に上がらない男」呼ばわりだったのか…という気もする。

 ただ、ぼくはつくづく宮仕えに向かない人間で、リーダー論とか組織論とかも、今さら読んでもこの身がどうにかなるわけでもないのだ。

 例えば、組織で働くうえで大切な協調性、といったこと一つとっても、そこには努力や心がけでどうにもならない部分があまりにも大きすぎると今の自分は考えたりもする。無理して他人に合わせようともがけばもがくほど、挙措はぎこちなく、笑顔も作り笑いにしか見えず、ますます他人に疎んじられる、ということが、少なくとも自分の場合、どうしてもあった。どう転んでも「変わった御仁」のカテゴリーから抜けられない。

 ただこれは、組織にとけこむ努力を徹底的にやったうえでの敗北の弁であって、そうでなければ、「石の上にも三年だ」「みんなしんどいのは同じだ」という空疎な叱咤激励に折れて、いまでも当たり前の組織人になる夢を捨てられなかっただろう。

 コミュ二ケ―ション能力、という言葉も昨今よく使われる(上掲書のことではない)が、昔はそんな言葉、少なくとも一般にはなかった。今でもあまり無条件に濫用しない方がいいと思う。要は知らない相手に好感を持ってもらえるかどうか、ということがカギなのではないか。好感を持ってくれた相手は、多少なりとも親身に話を聞いてくれるし、理解しようとしてくれる。こちらがいくら論理的であろうと、相手が心を開いてくれなければ、話が通じる可能性は低い。そして、ことば以上に、外見や物腰といったことが、相手の心を開くうえではすごく大きい。そこに「人望」ということが微妙に絡んでくる。

 官僚が、受験生時代の入試や模試の成績をいくつになっても自慢しあう「自己愛」ぶりが批判されているが、これは形を変えて広い意味での外国語産業などにも入り込んでいると思う。だから、他人事じゃない。 

 例によってはなし半分に読むべき本だろうけど、読んでおこう。

 ↓コード進行が今聴くとびっくりするほど新鮮だ。なつかしいな。


スキップ・ビート/KUWATA BAND【カバー】

 

伊藤くんA to E (幻冬舎文庫)

伊藤くんA to E (幻冬舎文庫)

 

 

 

 

女は世界の奴隷か~ひな祭りに解くロシア語問題集

書店で、客が若い女性店員に向かって、

「『男は女の支配者』という本はおいていますか?」

幻想小説はとなりのフロアで御座います」 

 

 

自習ロシア語問題集

自習ロシア語問題集

 
自習ロシア語問題集 (1982年)

自習ロシア語問題集 (1982年)

 

  ひな祭りの北海道は、低気圧が通過して、ところによってはすごい風らしくて、こっちはそれほどでもないが、また荒れる。

 今日が桃の節句なのと、三月八日が国際婦人デーで、二つ目に行った大学の恩師が、ロシア急進思想の勉強を続けるうち、男女同権論やフェミニズムにくわしくなってしまって、思わぬ余禄だった、といった話を最終講義でしていたのが、もう二年前なんだなあ。

 あのとき、帰ってきて、猛然とヴァージニア・ウルフを読んだりして、すごく刺激を受けた。ただ、ジェンダー研究は、うかつには触ることのできないデリケートな分野で、ぼくなどが半端な英語力でそういう専門の本を読みこなせるとも思えず、あのときもまあ、ウルフの『自分だけの部屋』をとにかく原文で読んだ、それでやめといた。

 今年は、語学の総復習と言いつつ延ばし延ばしにしていた上記の問題集を半分弱やって、ところどころ忘れてるので、たしかにやる意義はあった。何年も、いっかいこれをおさらいしなきゃ、というのはわかっていて、それで悶々としていたのだが、取りかかってみると、ぜんぜん面倒ではない。一度目に苦労してやっただろうところがすいすい解答できて、楽しい楽しい。

 ただ、物主形容詞の変化なんか、だいぶあやしくなっているし、「泣く」という動詞の変化を完全に勘違いして解答し、冷や汗をかいた。第一変化だこれ。ずっと勤めていた大学では、このレベルまでのことを教えないカリキュラムで、まがりなりにも専門の教師を雇っておいて、ずいぶんもったいない話と思ったのだが、それはもういい。

 で、上記の会話が練習問題として出てくる。ロシア語を始めた数年は、テキストの中の、こうしたユーモアが好きだった。もちろん、ソ連時代には地下でささやかれていたようなアネクドートが官許の教科書に載るようなことはなかったから、これも、いかにもソ連ユートピアニズムの面はあるだろう(中村先生も多分ソ連で出ている教科書からこれを採ったと思うので)。

 で、ぼくのなかでは、男女同権論というとジョン・レノンだったりするのだ。うちにも何枚かCDがあるけれど、聴きたいときには出てこないもので、九百枚あるCDを全部入れるほどの高性能のパソコンは持っていないし、やっぱりストリーミングのサービスに入るのがこれからの流れなんだろうか。実は何度か検討はしているけれど。

 この曲は内山田洋&クールファイブなどと共通点を感ずるというと変だが、非アフリカンアメリカンによるR&Bの解釈例として面白いということはある。この曲想に詞を自由に乗っけるところなんか、ね。

 いかんこんな時間だ。英語はこれから読む。


John Lennon - Woman Is The Nigger Of The World

 

 

Women Writers of Meiji and Taisho Japan: Their Lives, Works and Critical Reception, 1868-1926

Women Writers of Meiji and Taisho Japan: Their Lives, Works and Critical Reception, 1868-1926

 
Romantic Women Writers: Voices and Countervoices

Romantic Women Writers: Voices and Countervoices

 

 

 

Japanese Women Writers: Twentieth Century Short Fiction: Twentieth Century Short Fiction (Japan in the Modern World (Hardcover))

Japanese Women Writers: Twentieth Century Short Fiction: Twentieth Century Short Fiction (Japan in the Modern World (Hardcover))

 

 

 

A Room of One's Own and Three Guineas (Oxford World's Classics)

A Room of One's Own and Three Guineas (Oxford World's Classics)

 
A Room of One's Own (English Edition)

A Room of One's Own (English Edition)

 
A Room of One's Own (English Edition)

A Room of One's Own (English Edition)

 

 

 

A Room of One's Own and Three Guineas (Vintage Classics)

A Room of One's Own and Three Guineas (Vintage Classics)

 

 

 

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

 

 

 

 

ロックンロール県庁所在地~しごとのメールで遅くなっちまった

佐藤 スポーツ観光国家委員会の初代のトップ、タルピシェフは、クレムリンエリツィンの隣部屋に執務室を持っていたのですが、私はたまたま彼と親しくなり、この「スポーツ組」の世界の一端を垣間見る機会を得ました。アントニオ猪木さんがモスクワを訪問した時のことです。

 ソ連時代、表向きプロレスは禁止されていました。しかし、あの有名な「猪木・アリ戦」の一六ミリ映像が地下で流通していて、猪木さんはかなりの有名人。日本大使が会いたいと言ってもなかなか会えないタルピシェフに、猪木さんが表敬訪問を申し込んだら二つ返事でOKで、クレムリンに入って私が通訳することになったのです。

 

  なるほどね。16ミリというところがなかなかリアル。で、今はプロレス、どうなんだろう。全然知らない。

 明日がひな祭り。二年前の今ごろは、千歳のホテルだったっけ。この時期はわりと研究会シーズンでもあるけれど、へき地の暮らしだとあちこち行くこともできず、まあ仕方ないな。

 二年前はとんかつを食べて旅に出たけれど、今日はザンギで夕食。北海道以外の人は知らない言葉だろうけれど、とり肉を甘辛いたれにつけこんで揚げた唐揚げのこと。釧路が発祥だったとかそんな話だけれど、北海道人はあんがい内地に行って「ザンギ食いてえな」とか言って怪訝な顔をされたりという経験をした人、少なくないんじゃないか。

 ちらし寿司が食べたいけれど、老母ももう歳で、作ってとも言えず、どこかで買ってくるか。長崎のカステラが届いて、それがひな祭り仕様で、紙の台紙を折り曲げたらお内裏さまとお雛さまになって、TVの台の上に飾ってある。

 語学はこれから。「しごと」のメールのやり取りしていて、すっかり遅くなったけど、少しでもやっておく。

 


森高千里 『ロックンロール県庁所在地 (2015 Ver.)』【セルフカヴァー】