あきらめ節~研究対象の次数とライヴ至上主義
職業としての学問を考えるようになったとき、その学問とは近代ヨーロッパ思想史であり、副次的に、当時の言葉では社会科学方法論、いま自分では思想の社会学とよんでいるものであった。社会科学方法論というのは、岩波文庫にウェーバーの「客観性」論が、『社会科学方法論』という題で訳されていたことがよくあらわしているように、科学と価値判断の問題、イデオロギーの問題であり、そのかぎりで史的唯物論をふくんでいた。あとで思想の社会学といいかえるようになったのは、一般的には方法論の不毛を避けて、具体的な思想史の領域で問題を考えるためであったが、その背後にはマルクス主義(当時の)イデオロギー論への不満があった。それは、制度と思想をイデオロギー=上部構造のなかに、一括して投げこんで、制度と思想のあいだの整序には関心をもたなかった。かんたんにいえば、下部構造至上主義、経済至上主義であった。経済思想史の研究者が、経済史の研究者にたいして、ひけ目を感じていた時代である。
研究対象の次数の問題について、もう一カ所、拾っておく。
経済史と経済学史≒経済思想史は、たまに混同している人もいるが、この区別はつくと思う。そして、経済学史について、「それって経済学学じゃないの?」といったことがたまに言われる。それはこの著者の青年時代に限らず、現代でもそうではないか。言語学についても、誰それさんのやっていることは言語学ではなく言語思想史≒言語学学でしょ? と言われることがあったりもする。
経済学と似ていて決定的に違うものとして社会学があるけれど、どなたかがやはり、誰それさんのやっていることは社会学説史で、飲み屋街をふらついたことのない人の社会学など社会学ではない、と書いておられたのを読んだ記憶がある。
これは、一面ではよくわかる話だ。とくに理系の大学などでは、フィールドなりラボなりで実験や調査をするのが科学者で、科学史家というのはとても特殊な位置づけだろう。そもそも科学史の専任の先生を置かず、教授たちが持ち回りやリレー講義で科学史なり○○学史をこなしているところが多いのではないか。
現実を研究対象にするのが個々の科学/学問だとすれば、その学説・思想の変遷を追うことはなるほど二次的な研究だ。さらにその思想の日本への移入を研究するとなると、さらに次数がひとつ繰り下がる。この点をどう考えるか。
研究対象の次数が繰り下がるたびにレベルが低くなり、不純なことをやっている気持ちになる人もいるのだろうな、と思う。ぼくは、この問題は自分なりにさんざん悩みぬいたので、文科の学をやっている以上、この種の次数の繰り下がりが起こることは避けられないと考えるようになった。そのことで経済思想史を経済史より低く見るということもないし、言語思想史が言語学=言語の科学的調査研究に比べ二義的な意義しか持たないと考えることもあまりない。経済のありようの変遷を研究する経済史も必要である一方、経済をみる視点がどう変遷してきたかを研究することも劣らず重要ではないか。その専門の研究者は当然いてよいと思う。
ただ、ぼくはたまたまこの本を繰り返し読んでいたから、そういう風に考えることができるようになっただけであるかもしれない。ある先生はロシアのジャズグループの日本公演をサポートする仕事を通じて、徹底したライヴ至上主義の立場に立つようになった。いったんなまの醍醐味を経験してしまうと、活字情報がさぞ色あせて見えたことだろう。これはこれでよくわかる話ではある。おととし読んだ本では、マヤコフスキーも肉声の朗読がよかったので、印刷された作品はその抜け殻に過ぎない、と書かれていた気がする。
ただ、ウエスト・コースト・ジャズはアメリカ西海岸ではなく東京〇〇区のジャズ喫茶で生れた、という、受容に重きを置いた論じ方も、ときにはライヴ第一主義に劣らず説得力があったりする。で、ああそうか、これはベンヤミンを引いて相倉久人さんが言っていたことにも通ずる、と思ったりもするのだった。
コーヒーを飲みに出た。ゴールデンウィーク中の真夏のような暑さは去り、ぐっと気温が低かったが、それでも寒いとまでは感じなかった。アマゾンから来た靴はちょうどよい。かたちが考えていたのと違うが、履き心地はなかなかで、返品せず正解だった。
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添田唖蝉坊 ・あきらめ節 / 土取利行(弾き唄い) Akirame-bushi / Toshi Tsuchitori