俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Fly over the Horizon~「先生のバカ話がアホラシクテ」と真顔で言える学生

 社会科学の本でも、一般の本でも、まず断片を自分の目で読み取ることが必要です。最初に断片、それからだんだんにその本の全体を深く理解し、再解釈してゆくにも、ある断片がものをいって、それをテコにして再解釈が可能になる。

 ところが、断片を自分の目で読むことは一つの賭けです。その賭けを、もともと日本の社会がしにくくしていて、教育がそれをいっそう助長する。自分の眼で本を読まないように本を読む訓練をする。そういうことが否定できないと思うのです。社会科学を離れて一般の本がそう。定まった結論なり「感想」に向かって本を読む。そういう方法、モード、習慣が、社会科学の本にまで持ち込まれて、ここでいっそう[…]

 

社会認識の歩み (岩波新書)

社会認識の歩み (岩波新書)

 

  ここなんかは賛成してもよいのだけれど、そうやって自分の眼で断片を読むことによって、一定の自己の読みの流儀を形成してゆく、といった時間のかかることが誰にでもできるわけではなくて、下手にそれをやったあげく「我流におちいっている」「独りよがりを言うな」と非難されることもある。正直に自己の考えを披露して、かえって叱られるのがわれわれの社会だ。大学教授にこう言われたからといって真正直に実践に移そうなどという人は、多分たいへん少ない。

 自分の眼で読むなんて、そんなこと、中学や高校で教えられたこともない。課題図書のレポートは紋切り型でさっさと済ませて、浮いた時間は自由に過ごしたい。いわゆるコピペがなくならない理由はそこにあるだろうし、ここに、本音とタテマエという日本的原理がよこたわっている。

 どなたかが言っていた通り、独裁国家で「真実を語りましょう」と宣伝カーで宣伝して回っても、誰も真に受けない。誰が言っていたかというと、思い出した、中島義道さんだ。

教師に向かって「ぜんぜん聞いていませんでした」とか「眠っていました」と真顔で語ることは、これまでの生涯でただの一度も教育されてこなかった。「先生のバカ話がアホラシクテ」と━━ふてくされてではなく━━真顔で語ることは想像だにできないのである。

 そう語ったら最後、教師がどんなに自分を虐待するかを知っているからである。ゲシュタポ特高警察が目を光らせる国で「真実を語りましょう」と叫んでも、だれも恐ろしくてその手には乗らないのと似ている。

 

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

 

  まったく恐ろしいことに、自分もまた、第二外国語が何の役に立つのか、と歯向かってきた運動部の学生を、頭ごなしに叱りつけて一件落着にしてしまった苦い思い出がある。たいていの学生がもっと洗練された・あくどいまでの面従腹背をやってのけるなかに、たまたまそれができない愚直な正直者がいたのだ。あの子は、先輩や周りの大人が陰で言っていることを素直に口にしたに過ぎない。あの時こそ、若い人を大きく成長させるチャンスだったのに。

 四月になったとたんに陽光まぶしく、年度のはじめらしい一日になった。といっても、おうちにいる身には関係ないのだけれど。早いところは、年度が替わらぬ昨日のうちにすでに入学式という。

 『世界の快適音楽セレクション』で流れていたブラジルのバンド、恥ずかしいことに今まで知らなかった。たった三人で、このグルーヴ。この曲をやっている人たちと知り、納得。「クロスオーバー・イレブン」の、あの曲。大収穫だった。


Azymuth - Fly over the Horizon (Vôo Sobre O Horizonte)