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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

恋のハッピー・デート

詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語ることではなく、起こりうることを、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。なぜなら、歴史家と詩人は、韻文で語るか否かという点に差異があるのではなくて━━じじつ、ヘーロドトスの作品は韻文にすることができるが、しかし韻律の有無にかかわらず、歴史であることにいささかの変りもない━━、歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異があるからである。[…]

 

アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

 

  学会はもう半月以上前のことになりつつあり、よほどインパクトのある報告以外は参加者の記憶に鮮明な記憶をとどめていないかもしれないが、ぼくは、別にもとを取ろうと卑しく構えていたわけでもないのだが、十分に味わい尽くし、まだその知的興奮の余韻に浸って暮らしている。

 ぼく自身の報告は、まあ、あんなものかという出来だが、司会をされた先生がたからびしっとしたコメントをもらって、帰着してからアリストテレスのこれを注文したりしている。札幌ですぐ本屋に行けば手に入ったのだが、あの日はキンドルで英訳を探してそっちを読んだりしていた。

 かつてはずっと職場の手厚い予算で学会に行かせてもらっていたが、院生の延長だった当初の数年は別として、その後、普段まったく研究というか勉強というか、そういうことができない状態で全国学会なんか行っても、いたずらに孤立と焦燥を深めるのが落ちで、あれなら、その数日を出張せずに読書に宛てていたほうがよっぽど健全だった。孤立と焦燥。ずっとそうだったけれど、誰に訴えるわけにもいかない、で結局、毎晩べろんべろんになるまで酔っていた。

 いつぞやの京都の学会のときなんか最悪で、そのころ担当させられていた持ち回りの雑用で東京へ出張があり、それで疲れ果てて、もううちへ帰りたいのを、一睡もせず朝一番の新幹線で品川から京都へ行き、ようやく会場へたどり着いたものの、かんじんの報告をじっくり聴く体力は残っておらず、休憩室でただ放心していた。いくつか報告は聴いたことは聴いたけれど、どれも難しかった記憶しかない。

 さて、今日のアメリカ大統領選挙は、CNNは最初くわしすぎるというか、激戦州の、さらに郡単位の票読みなどやっていてこりゃダメだと思い、地上波の特番と交互に観ていた。大勢が判明するのがずいぶん遅れ、史上まれに見る大番狂わせにはただただ呆然とするしかない。

 今日が終わりではない。アメリカ国民の90パーセントをまがりなりにもカバーできるようになったオバマケアとか、本当に撤廃する気なのだろうか。『プロット・アゲンスト・アメリカ』の悪夢が、頭をよぎる。

 自主的な語学徒生活もやっている。ニュースサイトからの抜き書きで、ごつい作文練習ノートが一冊出来たところだ。とにかく、なまくらなまま放っておいたロシア語、半端に自信のある英語、両方とも徹底的に鍛え直す。

 

 


恋のハッピー・デート 石野真子