俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ハウスのプリン

さて、ドイツ人がラテン語ができないとなればどうすればいいか? ライプニッツの弟子のヴォルフがドイツ語に訳したのです。その時、彼は考えに考えて、日常的に使っているドイツ語に訳した。一八世紀にこの翻訳が行なわれたのが決定的で、日本人は悟性とか理性とか言われても感覚的にピタッと来ないでしょうが、ドイツ人はVerstand(悟性)、Vernunft(理性)と言われて、すぐに呑みこめるのです。以来、ドイツ人には日常語で哲学的な思索ができるという有利な点が生まれました。ですから、哲学的な思考をしようという人はドイツ語を身につけたほうがいいのです。

 

 

いま生きる「資本論」

いま生きる「資本論」

 

 このVernunftにまつわるエピソードで、おもしろいものがある。日本人の学者が酔っぱらって下宿先のおばさんにちょっかいを出したら、Sei vernuftigと言われた。「理性的でありなさい」という意味である。その学者は「ドイツでは無学な下宿のおばさんでもカントの言葉を使う」と言ったそうである。ところが、これは話が逆で、カントは無学な下宿のおばさんでも使うような言葉を使っていたのである。

 

講談・英語の歴史 (PHP新書)

講談・英語の歴史 (PHP新書)

 

  そうなんだよな。ハイデガーの主著も、漢語を使って『存在と時間』とやるからいかめしいので、『有と時』という邦訳があったはず。私見では『在るということと経るということ』くらいに感ずる。やまと言葉なんだよな。ただ、じゃあ哲学書をすべてやまと言葉で書けるかと言うと、廣松渉『世界の共同主観的存在構造』とか、漢語を使わないと無理だと思うのよな。

 何かドイツ語のこと考えつつ時間が流れていく。考えている暇があったらやればいいのだが、そんな時間はなく、きょうもこれからどこかへこもって、英語週刊誌の読み残しをやっつける。その他、借りてきた本が7冊。

 でもって、学会の準備がばたっと止まったまま進まない。JRもいまだ動いてないし、こんなんでほんとに行けるのか。

 気づいたらもう秋のど真ん中にいる。きのうは図書館で本を探すのに一時間近く手間取り、とっぷりと日が暮れる。雨が降って寒く、帰ってきてからストーブに火を入れた。

 ↓このメロディ、なつかしいな。


ハウスのプリン 石田未来