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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

彼女について知っている二、三の事柄

 昔、僕が高校の頃、英語は、英文学を読むためのツールという意味合いもあったし、ビジネスや留学のツールという意味合いもあったと思いますが、ここに来て、相当、意味合いが変わってきている 。文明の最先端の坩堝のところで起こっていることを理解するためには、英語が必須だというように変わってきた。ここが理解できないといけません。

 なぜ、こういうことを言うかと言うと、ニュージーランドとかオーストラリアに行って英語を勉強するというのは、恐らく、もう趣味の世界だと思うのです。同じ英語でも、文化に相当するところと、文明に相当するところがあって、文化に相当するところを学ぶというのは、趣味の世界、エミリー・ブロンテの文体について研究するというのは趣味の世界だと思うのです。それはそれで素敵なことですけれども。

 けれど、いまなぜ英語が必要になっているかというと、それこそ、テッド(TED)などに象徴される、新しい文明をつくるものすごい胎動みたいなものが、幸か不幸か英語圏で起こっていて、しかも、そこにありとあらゆるバックグラウンドの人が参入してきているということがあります。

 

  茂木氏は別の箇所で「英語のマインド・セットは[…]近代において最も成功したマインド・セット」、「グローバル化というのは結局アングロ・サクソン化」と言っており、要するに、英語の重要性は、文法的に正しく使えるかどうかという次元にはないという。

 7月に札幌へ行ったときも、こんな話を聞いた気がする。中国人の優秀な院生らはアメリカを向いていて、ある人などは東大とアメリカの大学院の二つの学籍を持ち、ふつうにアメリカ人の院生と対等の議論ができる、といった。

 マインド・セットというのはその通りで、以前、短期間だけ英作文の添削講座をオンラインで受講したけれど、インド人女性のインストラクターとファーストネームで呼び合うのが最初どうしてもできなかった。「~先生」に相当する呼び方をせねば、と疼くのだ、心が。

  一方相手は、そんなことは気にするな、と言ってどんどん内容に踏み込んで来る。英作文の基礎。問いかけへの賛否を最初に述べ、First, ... Second, ..... Moreover...と論拠を示し、最後にまた結論を明確に述べる。まったくの初歩だが、マインドセットが日本語のままではダメだ、というのはよくわかった。数年も留学していたら、たしかに、日本式の英語学習法など、このマインドセットは日本式のままの、瑣末なものに見えてくるかもしれない。

 ただ、留学の機会というのは、自分にはなかった。そればかりは、今さらどうしようもないので。で、こんな本など読んでいたりするのだ。いやオーストラリアかニュージーランドというのも、あながち悪くないと思うよ。


「彼女について知っている二、三の事柄」