俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

みかん

 日本人の書き下し小説がむやみに長くなったのはワープロのせいだというが、さっぱり面白くないのは、多分、こっちがズレてしまったのだろう。

 

妄想老人日記 (中公文庫)

妄想老人日記 (中公文庫)

 

  いや世紀の変わり目が見えるようだ。いまはワープロ専用機などすたれてしまったし、「ワープロ」というとき、ふつうわれわれはパソコン上で動くソフトウエアを指している。パソコンの存在が自明になるのと入れ替わりに、いつしかあの「ワープロ」は後景に退いた。こうして、20年と持たずにワープロ専用機という書字専用機械が時の流れに没してゆくさまが、1998年から2000年にかけて雑誌連載されたこのテクストのなかに虹のような航跡を描く。「時は流れず」というのは大森荘蔵の本のタイトルだったはずで、それを読んだ時はなんとなく説得されたりもしたのだが、上に引いたような一節にぶつかるとき、たしかに時は流れ、移ろいゆくものなんじゃないかという気もしてくる。いや流れるのは時というよりそうした片々たる事物か。なんにせよ初出が1998年か。インターネットはあったがスマートフォンタブレットもなく、電子書籍というのも当時は聴いたことがなかった。その時代にのみ書かれえた記録という意味でも自分にとっては貴重。そしてこのタイトル。青年の血気が壮年の旺盛さになり、やがて老年の無残さへと移り変わってゆくというのはだれにとっても他人事ではない。それをやや偽悪気味にメディアにさらし続けたこの御大。もっと読みたい、知りたい。