俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

白い道


白い道《歌詞付き》

曇。小説誌の短篇に取りかかる。以前、原稿用紙二、三枚のうちに、同じ形容、常套句、接続詞を用いることはなかった。今は字にしたとたん、ハッと気づくほど、近接して使っている。

 

妄想老人日記 (中公文庫)

妄想老人日記 (中公文庫)

 
妄想老人日記 (ラッコブックス)

妄想老人日記 (ラッコブックス)

 

  ああこの天才にしてそうなのかと思う一節、天才と断言するほど読んでいねえじゃねえかてめえと言われると言葉に詰まるのだがこのリズムというか呼吸というか息の継ぎ方、これは手癖のレベルにまで無意識化された肉体的技能の一種としての〈執筆〉の果実であって、このひとの場合なりわいとしてそれができて当たり前、注文依頼懇願どんとござれと構えておられたはずではあるが、この人にしてからが無意識に避けることができていたはずの反復や多用といった悪い意味でのマナリズムにいつの間にかおちいっているというのだから老いというものは恐ろしく、いや性と酒と病と薬とにまみれながら悠々自適のひと財産があればとうに書かなくなっているだろうと自嘲しつつそれでもこれだけのエナジーに満ちあふれた文章が書けるというのだから天才、天才が大仰ならばこの句読点のマエストロ、じかにしょっちゅう顔を合わせていればその老残と一本調子にうんざりさせられていたのは必定ではあるけれどもこちらは市井のそれも地方の一読者、紀伊國屋書店大手町ビル店の平成12年12月22日付の領収証がはさまったまま届いたこの古本を読みつつ生きるということと書くということのはり合わせになったこの性、この場合は「さが」とよんでいただきたいが、いや業というべきか、その深淵を垣間見て大いに参考になるのであったがそれはそうと原稿用紙ってわが街ではまだ店頭で売っているのか。