俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

弦楽のための三楽章

 昔々、サンクトペテルブルクから偉い先生が来て、札幌に1年間滞在したことがありました。そのとき、日本語が読めないその先生に頼まれて、国文学や比較文学の先生たちがお書きになった芥川龍之介関連の論文を何本か読んで、その内容を教えてあげたことがありました。そのとき知ったのは、ロシア人がいかに芥川龍之介を好きか、ということと、芥川自身が英訳などで相当ロシアのものを読んでいたらしいこと。むろん、芥川『鼻』がゴーゴリ『鼻』にインスパイアされた作品であることはみな知っていますが、『カラマーゾフの兄弟』のなかの挿話と芥川「蜘蛛の糸」の類似といった問題の立て方が可能なくらい芥川とロシアというテーマがアクチュアリティを持っていることに、そのとき心底驚きました。

 龍之介の死後、まだ幼かった三男が、父の遺品のSPレコードストラヴィンスキーなどを聴いて育った、というのは、だからとっても合点がいくのです。その三男が作曲家・芥川也寸志(あくたがわ やすし)。いつだか、薄暗い自室でFMラジオを聴くともなしに聴いていたら、この作曲家の特集が流れていました。戦後、まだ国交のなかったソヴィエト連邦に渡り、そこで認められて楽譜を出版、という経緯が紹介され、この曲が流れました。「弦楽のための三楽章」。

 ショスタコーヴィチにもストラヴィンスキーにも一丁字もない僕は、ソヴィエト文化の研究にはしょせん向かなかった、そう思うことがあります。一方で、あの日この曲を耳にして以来、ここを入り口にすれば、まだ僕にも何か語る余地があるのではないか、とも思うのです。戦後間もない日本の若者の、ソヴィエト芸術への憧れ。芥川伊福部昭の教え子だったことなども、もう少し詳しく知りたい、そのためにはおたまじゃくしが全く読めないではまずいだろうから、どこかでピアノでも習おうか(そんな余裕あるのか)、などと取り留めなく考えているうちに今日も寝る時間になりました。