俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

訳書刊行について~今日だけはまじめに書いておきます

 そのロシア語の本はまるで学術書そのものの体裁をしてわれわれのもとへやってきた。何人ものロシア文学の専門家の研究室の書棚に、今もちゃっかり研究書のような顔をして鎮座していると思う。

 しかし一方では、ロシア・ファンタスチカ研究者の宮風耕治さんがあちこちロシア文学研究者と交流を持ったことから、情報が伝わり、この本の素性をすでに分かっている人もまた多いのか。

 それにしてもこの本の原書を隅から隅まで読んだ、という人はそんなに多くはないだろう。

 ぼくは、素性を知らずに騙されて読んだ口で、そのことをネタに研究会の報告をやり、その論集に論考を書かせてもらった。自分としては訳すまでの気はなかったので、出版社から連絡を受け、日本語で出しておくのも悪くないのではないか、と提案を受けた時は、さすがに驚いた。しかし、幻の奇書のままにしておくのもよいけれど、一気呵成に読める日本語にしておくのも意味のあることのように思えてきた。

 大学の研究室をたたんでひとりだったせいで、時間はあった。その数カ月あるいは数年をその翻訳に捧げるのも悪くない、と思えてきた。で、その本がこれだ。

 

ソヴィエト・ファンタスチカの歴史

ソヴィエト・ファンタスチカの歴史

  • 作者: ルスタム・スヴャトスラーヴォヴィチカーツ,ロマンアルビトマン,Roman Arbitman,梅村博昭
  • 出版社/メーカー: 共和国
  • 発売日: 2017/06/09
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

  SNSで多くの人が話題にしてくださっているそうで、まったくありがたい話だが、半面では、それはほんのいっときのことで、そういう時期はすぐに過ぎてしまうだろう。

 訳者としては、何年かたって、刊行の経緯なども忘れられたころ、図書館や古書店の暗がりで、何の予備知識もない若い人に再発見される、そのときこそこの本が正体不明の奇書としての真価を発揮するのではないか、などと考えて、そっちの方でドキドキしてしまう。この本はそういう時間の流れのなかに棲みつくべき巨魚のように思えてしまうのは、訳した者の身びいきだろうか。

 解説でも書いたが、まず構文を厳密にとりながら訳し、次に背景や真意を汲みながら、日本語として読むに堪えうるように整えていった。若い人にも読んでもらいたい、その一心のために、読みやすさを心がけた。文学研究を専門としない読者が大半であろうことを考慮し、悩んだあげく「プロット」という言葉さえ使うのを控えた。ただし、いわゆる「超訳」にはならぬよう注意はしたつもりだ(解説ではそこまでは書かなかったが)。

 先の宮風さんなどの先達はおられるものの、研究対象として扱っているときは、この作品をあたかも自分だけが知っている宝物のように錯覚していられた。しかし、もうこれは店頭に並び、少なくない数の人に読まれることになる。この作品はもう一部の専門家の専有物ではなく、文学に関心をもつみんなのものだ。そっと、静かに、「行っておいで」と見送ろう。

 この本のことをここに書くのは今日だけだ。次へ向かって歩き出さねばならない。一歩一歩、希望を持って。