俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

花梨~大西巨人「老母草」にショックを受けた

 真帆は丁重に一礼し、「私たちは、文久大学の学生で、文芸部員ですが、今日はハイキングかたがた与野公園大宮公園で桜見をしようとして、やって来ました。男子三人と女子二人、計五人連れです。与野公園には最前行きましたが、花見というか飲食は大宮公園ですることにして、ここまでてくって来ました。すると、お宅の桜がとても見事なのと、実は皆が空腹にもなってきましたので、はばかりながら、お庭先をしばらく拝借して、お花見をさせてもらうことができましたら、たいそう幸せです。もちろん騒ぎ立てたり散らかしたりなど、いっさい迷惑は、おかけしませんから。」とねんごろに許可を乞うた。しかし、真帆は、”ただ「大学の学生」と言うだけで、「文芸部員」ということは言わなくてよかったのではあるまいか。そんな名称は、こんなお婆さんには、あまりぴんと来ないのではなかろうか。”というように省みていた。

 老婆は、立ち上がり、目を門前の四人のほうへちらと走らせてのち、真帆とにこやかに正対して、「どうぞ、どうぞ。気がねなく皆さんで花見をなさい。縁側だけでなく、そこの八畳も使ってください。お上がりになって構いません。……それにしても、お若いのに、ずいぶん行き届いたご挨拶ですこと。[…]

 

五里霧 (講談社文芸文庫)

五里霧 (講談社文芸文庫)

 

  図書館の奥まった開架から借りてきた。自分の知力の子供っぽさを恥じながら、パラパラ読んでいる。

 上の一節は「老母草」という短篇から。この種の大学生に教えたことのないぼくは、一九九二年にこれが書かれた時点でこうした大学生の描きかたはまだ写実的だったかどうか、半分首をかしげつつ、この短編のメタ文学的構築には電撃的に打たれれてしまった。ネタばらしはしないが、参った。

 メタ文学的などと書かずとも、文学についての文学、と言っておこうか。スタニスワフ・レム『完全な真空』というのが実在しない本の書評を集めたものだったけれど、あれほどじゃないにせよ、ああいうのを意識して、「そういうのならこういう書き方もあるよ」と言っているようにも思える。『完全な真空』は一九八九年に邦訳が出ているから、あり得る話なんじゃないかと思いつつ、一応これは読んでから返却しよう(注記:これ自体がレムの本のような架空の書評を含んでいたりするわけではない)。結局買いそうな気もするが。

 何しろ日本語の濃さが違う。先日あるところで、低温殺菌のおいしい牛乳をごちそうになったけれど、この日本語のコクといい甘みといい、昨今のライターさんが書く、大量消費を当て込んだ新書本なんかとはもう段違いだ。

 文学にたずさわる人間を描いていながら決してダサくない、というところがよくて。上の文芸部員の女子学生も凛としている。ちなみに文学部、ではない。文芸部、つまり文学青年のサークル活動だ。あと、作者が英語の書物を通じて東欧の政治や文化の知識を吸収する勉強の跡も見えたりするところが、ぼくにはよかったりする。省みて、身が引き締まる。

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 異動の季節で、あちこちの職場で、送別会のたぐいはひと通り終わっているころだろうか。ぼくは現在どこにも籍がないけれど、ひとが異動でどこかからどこかへ転出するうわさを聞くと、自分にぜんぜん関係ないのに勝手にさびしくなってしまうことは今もある。 

 勤めていたころ、内地(とだけ書いておく)の大学へ行く同年輩の中堅教員を見送りに、空港まで行ったことがあった。引っ越し荷物を送り出し、クルマも陸送を手配し、前夜はホテル泊まりだったという彼は、着替えと、飛行機・新幹線の中で読む文庫本を数冊入れたバッグを下げて現れ、晴れやかな表情だった。彼も独身で、他に見送りもいない。ずっとワンルーム住まいを通し、払い続けた家賃の総額がきっかり1000万だったよ、と笑っていた。もう会うことはないだろうと思いつつ、「また会おうよ」と言って見送った。仕事のよくできる、ナイスガイ。元気でいるだろうか。


柏原芳恵 花梨