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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

あなたは「おもしろマガジン」~古典派経済学はまだ自分の中で生きている

 マルサスの立場はリカードとは正反対であった。穀物の価格が高いのは、食糧(生活資料)に比して人口が多すぎるからである。そうだとすれば、スミスの自然価格論によって当然食糧の価格が騰貴せざるをえないであろう。したがって社会の中のだれかが食えなくなるのはこれまた当然のなりゆきであるということになる。マルサスはこの見方を理論的に基礎づけるために、やはり『政治経済学原理』(一八二〇年)という書物を書いた。もちろんそれは地主の責任ではない。経済法則のせいであると彼はいう。この書物の底には、このような地主擁護の立場が貫かれていることは見のがせないと思う。マルサスのこういう考え方は、すでにいち早くあの有名な『人口論』(一七九八年)で説かれていた。この書物マルサスがいいたかったことは非常に簡単明瞭な一つの自然的事実である。それは生物界においては、生物はその食糧よりも早く増加する傾向をもっているということである。これを人間の世界におき直してみると、人口は食糧よりも早く増加する傾向をもっているという命題となる。これがマルサス人口論の骨子である。人が貧乏するのは天の配剤であり、事物自然のなりゆきである。[…]

 

アダム・スミス (岩波新書 青版 674)

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  今頃になるといつも思い出すのは、高校三年の二月ごろで、なんとなく当初思っても見なかった大学に願書を出し、二次試験の小論文の勉強のために、新書本を数冊買ってきて読んでいた、あの真冬すぎ。

 高校三年のときの政治経済は、自分でも予想しなかったほど面白かった。ネット通販なんかない時代、ろくな品ぞろえもない地元書店でたまたまくわしい参考書を買えたので、スミスとかリストとか、マルサスとか、そういう名前とはなじみができていて、マルサスなんか、大学へ入ったらうんと勉強したいと思っていたことを憶えている。入試の日の小論文は、どんな問題かは忘れたが、とにかく一九世紀の古典派経済学について、知っている限りのことを書いて書いて、それでなんとか合格通知をもらったのだ。だから、その方向に迷いなく進んで行けばよかったものをね。

 結局、語学、ということになってしまう。最初の大学生活が思ったほど大学生らしい生活にならなかったのは、原書を読む力が自分にはなかった、というその一点に集約されている。スミスやリカードが難しすぎるとしても、その概説書などは英米で無数に出ている。そういう原書を読む力。その点さえ基準に達していれば、キャンパスが田舎だったとか、遊ぶ場所がなかったとか、そんなことはたいした大きな不満にはならなかっただろう。他の学部の学生のように、医者やエンジニアや小中学校教師にほぼなれるという確証がなくとも、ガールフレンドができずとも、そんなことはぜんぜん問題ではなかったはずだ。

 先日書庫から持ってきたこれは、数回買い直したうちの、最初に買った一冊じゃないな。回り道のあげくに大学の教師になって研究室をもらって、語学の先生のくせに社会科学の本も書棚に並べていた、その一冊だ。思えば、経営・経済関係の学科のクラスというのもあって、どうせ少人数なんだから、語学なんかテキトーにやって、こんな本の話をしてもよかったのだ。こういう、古い経済学の話をする先生は別にちゃんとおられたが、なんというか、若い人には高尚過ぎるらしくて、ある子はその授業を途中で逃げ出し、ぼくを訪ねてきて、さっぱりわからない、いったい教科書のどのページの話をしているかもわからないんですよ、とうめくように言った。

 ともあれ、高校三年の二月から、何度の冬を越えてきたことだろうか。今またそんな真冬の真ん中すぎ。外出から帰り、冷え切った家の中を暖め、これを書いている。図書館は久々、勉強の飽きを埋めるための本五冊借りる。パソコン購入のガイドのような雑誌をさがしに、新刊書店にも行ってみるが、スマートフォンの使用法の本ばかり。文具店でノート三冊。語学は今日は完全にお休み。『ジャパン・タイムズ』日曜版、三か月延長手続き。半年あるいは一年でもよいのだが、別にそれで割安にもならないので。


あなたは『おもしろマガジン』/榊原郁恵 歌ってみた♪

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