俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Scarborough Fair

「そのとおりだ。美しいフランス語は絶えてしまった。ライプニッツやフレデリック・ルグラン、アンシヨン、フンボルト、ハイネといったすばらしい外国の作家たちが、彼らの思考を表現したことばであり、ゲーテが、このことばで書かなかったのを悔やむ、と言ったほどのすばらしい言語だ。この優雅なことばは、一五世紀にはギリシヤ語かラテン語になるところだった。[…] 

 

 

20世紀のパリ

20世紀のパリ

 
二十世紀のパリ

二十世紀のパリ

 

  ヴェルヌの想像/創造した二十世紀のパリでは、産業と経済がすべてを支配し、フランス語そのものさえ優雅さを失っている、という、そんな一節。逆に、十九世紀のフランス人が、いかに自国語を誇っていたか、そのことの証明としても面白い。

 言語が時代とともに美しさを失い、貧しくなってゆく、というのは、必ずしも公理ではないが、坪内逍遥の自在な漢語の駆使にくらべて、われわれの時代の日本語の使い手が、そっち方面ではずいぶん後退してしまったことは確か。そのかわり西洋語からの翻訳・借用は飛躍的に増えたけれど、そのぶん自由度や平明さもちゃんと増しているだろうか。

 トゥルゲーネフのロシア語賛美、というのもあるし、英語圏でも英語自慢の例はいくらでもあるだろう。そういう、各国語の自画自賛を半期15回、リレー講義で紹介したらさぞ面白いのに。まとめはシンポ形式で。どこかの大学でやればいいのに。

 こないだ譲ってもらったアナログ盤の中に、サイモン&ガーファンクルがあって、聴き惚れている。


Scarborough Fair Simon and Garfunkel スカボロフェア サイモン&ガーファンクル