俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

波~星くず語学徒が星くずであるゆえんなど

 スター・シティの特別通信部門が設立されたのは、ガガーリンの飛行の一〇日後のことで、ソ連全土から、そして国外からも、大量の手紙が届くのを処理するための部門だった。時がたつにつれ、この部門はほかの宇宙飛行士の連絡も扱うようになり、七人の秘書が常駐していた(少なくともそのうち二人はKGB担当だった)。セルゲイ・エグポフがこの仕事を監督し、二つの主要ポイントを念頭に置いていた。ひとつはガガーリンの仕事の負担を減らしてやること。現在の任務は政治的にはゆるくなり、宇宙飛行士たちに対する世界の関心も薄らいでいたが、エグポフはそれでもこの部門を動かしていた。「手紙の大半の宛名は、”モスクワ、ガガーリン様”か、”クレムリンガガーリン様”でしたね。しまいにはガガーリンに、”モスクワ七〇五”という特別な郵便番号を与えることになりました。何年にもわたって、少なくとも一〇〇万通は手紙を受け取ったはずです」

 

ガガーリン ----世界初の宇宙飛行士、伝説の裏側で

ガガーリン ----世界初の宇宙飛行士、伝説の裏側で

 

  拾っておく。チェーホフだなこれは。

 ガガーリンが仕事の重圧で酒浸りになってゆくところは身につまされる。国内外をプロパガンダのために旅行させられ、自分の本質と関係のないところで、初めて宇宙に行った人間として、そつなく、相手の期待を裏切らずに振る舞う仕事。さぞ不本意だったろう。

 ぼくはもう酒を飲まないが、これも仕事を離れたことと微妙に関係していて、大学に勤めながら、帰宅したらやけ酒を飲んでいた生活におさらばしたということなのだが、あとのほうは何のために大学に勤めているのかもう完全にわからなくなっていたし、一方では、がばがば飲んでいた酒も、うまいから飲んでいるのかどうか、まったくわからなかった。

 で、今はもう一滴も飲まない自分だが、ふしぎと酒場の雰囲気が恋しくなることはたまにある。というか、酒場こそ行かないものの、変な言い方だが、今でも〈ノンアル飲料の家呑み〉は励行していると言える。

 たとえば、今、ノンアルコール飲料は飲んじゃったのだが、アイスコーヒーをパックの牛乳で割って、買ったままずっと聴いていなかったセルジオ・メンデスなどを聴いている(CDというものがこれからなくなりつつあるかというご時世になって、ようやくCDの良さを発見しつつある)。自宅を研究室/カフェ/ノンアルコールの居酒屋に、と、そう考えて、わび住まいをやり過ごしているんではあるが。

 ↓これを発見、このうちのある方は研究会に来てくれたことがあるし、別の方には数日滞在させてもらった非常勤研究員室で写真を撮っていただいた。この世代から見れば、博士号もなく大学に籍もなくなったぼくなどは、無資格で研究者を名乗っているように見えるかもしれない。

http://www.scholar-errant.com/RoundTableDisc1.pdf

  ただ、自嘲でも自己憐憫でもなく、掃除夫や工員、不定期のアルバイトなどをしながらほそぼそと勉強を続けるという生き方は、存在する。いいわるいという当為の問題は別として、事実として存在する。


Sergio Mendes & Brasil '66 - Wave (by EarpJohn)