クロエ
ちなみに、ひとに教えながら勉強するのはよくある手です。気をつけないといけないのは、大学のロシア語とかドイツ語の若手の先生って、だいたい文法に不安を持っているものです。ではどうするかというと、教えながら勉強していく。このやり方でたしかに上達はするんですよ、先生当人はね。
ただ、その先生が教えた最初の五年ぐらいの学生にとってはいい迷惑で、デタラメを習うわけです。先生が手さぐりでやっているのだから、学生のロシア語が上達するはずはありませんよね。[…]
拾っておく。これはたしかにそうだから。言われても仕方ない。
ただ、やってる当人らも必死ではあって、その部分まで「どうせテキトーに決まっている」と決めつけたがる人らも世の中にはいるので、そこはきちんと「そういう面ばかりでもないですよ」と言っておきたい。
第二外国語のポストというのは、今や気楽な既得権ではない。さすがに生首を切るという話はめったに聞かないが、転出などで空いたポストは、実用英語や、同じ第二外国語でも、他の専門科目も担当できる人をとったりするのが普通だ。ロシア語やドイツ語の講師といっても、けっしてむかしのように悠々と権利を行使しながら、自分の勉強だけ気にかけているわけではない。
と言いつつ、ぼくはもうどこでも教えていないから、ぼくがムキになって言う義理でもないのだが。
勤めていたときのことは、もう思い出したくないことがほとんどだ。学生らはなるべく楽をして単位を取るのがよほどの自慢らしく、いかにぼくのロシア語で巧妙に中抜けや代返をやったか、それを何とかしようと右往左往するぼくがいかに間抜けだったか、三年生に進級しそれぞれの研究室所属になってから、教授たちに話してはさんざん笑いものにしていたらしい。
それはどこでもそういうもんだろうが、わざわざぼくのところにその話をしに来る先生もいて、こちらもさすがに思わずかっとなり「てめえもういっぺん言ってみろ」と殴りつけたり…はしなかったのは本当によかったと思う。ぼくは暴力は嫌いだから。
つまらないことを考えるのはよそう。人をからかいたくて仕方ないという心ないやつはどこにでもいるし、悪感情は、反すうしているうちにますます強くなって、心の傷を深める。ギャビー・パヒヌイのCD、いつかCD店で見かけて、手持ちの現金が心もとなくて、買わなかったのをおぼえている。以下の曲はライ・クーダーとの共演。いやなことは忘れて、こういうのだけ聴いていたい気分。