俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

African Reggae

 […]教師自身にはそのつもりがなくても、多感な生徒には大きな影響を与える可能性が常にあるのだ。だからこそ、不用意な発言は控えてもらいたい。

 特に困るのは、自分の偏見で否定的なことを発言する教師である。

 ある生徒が大学でドイツ語を勉強しようと考えた。ところが、それを聞いた高校の教師が、こんなことをいう。

「ドイツ語なんて、森鴎外の時代じゃあるまいし」

 この生徒は大きなショックを受ける。専攻を変えようかとまで悩んだ。でも別の教師がこういった。

「あなたがドイツ語をやらなければ、誰がやるの?」

 結局この生徒は、初志貫徹でドイツ語を専攻した。[…]

 

ぼくたちの英語

ぼくたちの英語

 

  驚くほど料簡の狭い教師というのはぼくも知っていて、(例によってぼくが大学教師だったころの古い話で恐縮だが)、ある女子学生が「英語もやりたいし、第二外国語も興味がある。どうしたらよいでしょう」といったことを、英語の先生に相談しに行ったそうだ。

 その英語の先生は近隣の大学から非常勤で出講してくださっている方だったから、正確に言えばぼくは直接は存じ上げなかった。その先生はきわめて明快に「第二外国語なんてどうせムダになるから、その分英語をやったほうがいいよ」と答えたそうだ。

 その女子学生は本当に無垢な子だったのだろう、その通りのことを、別に悪びれもせずにぼくに教えてくれた。陰では、その何倍も、こうしたことが言われていたことが推察される。

 これは別にひがみや恨みで言っているわけではない。たとえ大半の学生にとって、外国語といえばまず英語、というのが実情だったにしても、英語以外の外国語の輪郭を知っておくことが英語学習にとってもきわめて有益だからこそ、科目として設置されているのではないのか。いや、そういう先生は、こういうまっとうな言い分さえ「きれいごと」「ムダ」として一顧だにしないのだろうな。

 むろん、英語の先生もそんな人ばかりじゃない。フランス語やイタリア語も堪能なある先生と知り合ったときは、その先生がイタリアで古書を買い漁り、古書店の店主に「これはビョーキみたいなもんだ」と言い訳をした、などという話をうかがって、大いに愉快だった。ほかならぬ渡部昇一先生のような方が、英語のほかに井戸をもう一本持っている人の方が知的に豊かだ、といったことをお書きになっていなかっただろうか。

 英語以外の外国語の人気というものは、案外つまらないことに左右されやすい。今、ドイツはEU内のナンバー1の大国で、再び国力をつけつつあると思うが、上掲の引用の中の高校の先生の頃は、ドイツなどいかにも地味でつまらない国に見えたのだろう。しかし、ひと目をひく人気もなく、地味そうな国の言語を学生が専攻しようとしていたら、「それはいい」と大いに励ますことこそ、教師の役割じゃないのか。そうした良心的な教師というのもちゃんといることを、上の引用は教えてくれる。


Nina Hagen - 1980 African Reggae (FR tv livish)