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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

威風堂々

  ところで、たしかにロシアは日本に近づいてきてはいましたが、日本に近づいてきた列強はロシアだけではなかったはずです。そもそも日本を開国させたのはアメリカですし、日本に大きな影響をもったのはイギリスです。フランスもやってくるし、ドイツも遅れてやってきます。多くの欧米列強が日本に接近していたのに、なぜロシアだけが〈脅威〉に思えたのでしょうか。逆に言えば、ロシアを〈脅威〉に思うことで、そのほかの列強はあまり〈脅威〉とは思われなくなってゆく認識の構造ができあがっていくわけです。

 これはなぜか。基本的に明治維新以来──幕末以来と言っていいですが──、倒幕勢力の中心となった薩摩・長州両藩や明治維新政府は、基本的にイギリスからの情報で世界を見ていたからなのです。イギリスの新聞やイギリス政府からの情報で世界を見るというやり方です。その情報がどこから発信されたかで、ものの見方が変わってきます。

 

 

  どうもこのへんがよくわからない。

 受験科目として世界史か日本史を取っておく、というのは文系の研究者になるためには大事なことで、もちろん、あとでいくらでも挽回はきくのだが、それを今ごろになってやっているここ数週間。

 明治以降の近代日本が西欧、もっとはっきりと英・独・仏の学術や制度を継受・移入して近代化を推し進めたのはわかるが、そのうちイギリス的なるものの比重が当初どれくらいだったのか。

 ロシアを脅威と思う〈恐露症〉については、江戸時代までさかのぼって論じた志水速雄の本なんかがあったと思うし、必ずしも一元論では語れないんだろうが、英語メディアがそれを増幅したというのはここで拾っておこう。

当時、イギリスはロシアと世界的に対立していました。バルカン半島を巡ってイギリスとロシアは対立していました。それからアフガニスタンでも、インドを植民地としているイギリスと、南下しようとするロシアが衝突しました。そして極東です。朝鮮半島と「満州」を巡ってロシアとイギリスは牽制し合っていました。

  一面では英王室とロマノフ家は婚姻関係でつながっていて、必ずしも英露が真っ向から敵対していたというわけでもない、ということもあるらしく、そのへんが、やはりナイーヴな日本人には〈複雑怪奇〉なんではある。

 メモ代わりに。


エルガー作曲  行進曲「威風堂々」第一番