俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

East 19th Street

山内 […]私は、北大露文科のある教授が李恢成氏と高校の同窓だったので、大学院時代から 李恢成氏の作品を読みました。北海道弁と朝鮮韓国語の言い回しが混淆した不思議な会話文を思い出します。こういう、まさに複合的な「北方の民族」の存在に目を向ける視点が涵養されていたら、沖縄への接し方もかなり違ったものになったかもしれないのですが。

佐藤 残念ながら、日本は北方に関しても専門家を作れませんでした。

 

  古くならないうちに読んだ方がいいだろうな、とこんな本など。すると上の一節。ぼくもよく知っている話だったので、山内先生も院生時代はあの先生の講読など出ていたのか…と感慨があった。

  李恢成氏は旧南樺太出身。日本の敗戦後、北海道へ脱出し、姉がサハリンに残った、というのはNHK-BSの『世界わが心の旅』でやっていた。録画し、勤めているとき、何度か授業で使った。日本人は日本国内に帰還できたのに対し、在樺コリアンらは「日本人ではないから」という理由でそれができず、サハリンにとどまることを余儀なくされた、という事実(李氏は混乱にまぎれての脱出だったのだろう)。

 日本は北方に関しても専門家を作れなかった、って、え? あなたたち自身が専門家じゃないの? と言いたいところだが、これは当たっている面があって耳が痛い。   

 ぼく自身もいくらかチャンスはあった。職場の出張でオハだとかノグリキだとかに行かされた。しかし、東京主導のロシア文学研究の潮流にキャッチアップするためにはやるべきことが他にあり、サハリンのことは、せっかく触れるチャンスがあっても、片手間にならざるを得ない。

 それに、自分には、単身乗り込んでいってウォッカを酌み交わして各方面にネットワークを築く、といった、佐藤さんみたいなやり方はとうてい無理だった。北方に関する専門家、というとき、どうしてもそういうタイプの人が念頭に置かれているんじゃないだろうか。

 

 


Andrew Hill - East 19th Street