俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

男の背中

…総じて学力の高い学生は、言葉を比較的自然に語り出すが、学力の低い学生は口をつぐむ。言葉を発することを警戒している。

 私の経験であるが、東大や慶応で学生たちに向かって「お前たちアホじゃないか」と言っても、どっと笑うだけ。「きみたちのあまりの無知に途方に暮れました。」と言っても、「お互いさまさ」と軽蔑的顔を見せるだけ。とても風通しがいいのだ。

 だがX大学Y大学では絶対に「馬鹿」とか「アホ」とか「無知」とかの差別用語を使ってはならない。というより、教師はあたかもこの世にいかなる学力の差別もないかのようなフリをしなくてはならない。そして、その演技力が少しでも鈍って、差別発言らしきものが出ると、学生たちはソレを敏感に感じ取って教師を断罪するのである。「おれたちの味方かと思ったけど、やっぱり警察のイヌじゃないか」というわけである。

 

 

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

 

  メモ代わりに。デリケートで書きにくい、残酷な構造。ぼくも名もなきX大学(最初に行った大学)の学生だったから、この構造は身をもって知っている(気がするが)。ぼくらの場合、北海道から流れ出た層の学生がある時期どっと当該学科に流入し、東京から来た先生方が、その気質を理解しかねて対応に苦慮する、という側面があり、事態をややこしくしていた気が。本当にデリケートなことで、直視したがらない先生方も多かったかもしれない。

 それでも今もそこがぼくにとっての母校であるのは、この構造から目をそむけず、ぼくらを学生らしく扱ってくれた語学の先生が一人だけいたから。ほんのわずかな期間だが、個人的に研究室に出入りし、文字通り「そんなこともわからんか、馬鹿もん!」と叱られながら、かんたんな英語やほんの初歩のドイツ語を読んだ。こわかったけど、雑談としてうかがういろんな研究の話が楽しかった。

 思い出すのは、その先生と個人的に話すようになったのは、教養の語学が終わった3年生のときだったこと。生協の書籍部で鉢合わせし、「うむ、勉強したそうな顔をしてるな」とずばり言われ、それがきっかけで研究室に出入りすることになった、たしかそうだ。

 あれがなければ、その後回り道の果てに大学院まで行ったりすることは、けっしてなかった。今この歳になっても外国語を読んでいるということも、なかっただろう。それを思うと、せつせつたる気持ちになる。


男の背中 ・ ♪~ 増位山 太志郎