君に捧げるほろ苦いブルース
もしダンテが隣人であるとき、哲学的野心を抱く抒情詩人であるとは、いったいどんなことだろうか。シェイクスピアが昼食をとる姿を横目に見ながらその同時代の戯曲作者であることは。「誰か他人がゲーテであったら、私は一体どうしたらいいか」とゲーテは自問した。プリンストン高等学術研究所の私の部屋の外で、J・ロバート・オッペンハイマーが若い物理学者に向かって詰問するのを聞いたことがある。「あなたはそんなに若くして早くも業績皆無というわけですか。」こんなふうに言われたら、論理的選択は自殺しかない。
- 作者: ジョージ・スタイナー,伊藤誓,磯山甚一,大島由紀夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2009/09/19
- メディア: 単行本
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炸裂するような才能と隣り合わせになって、おおいに割を食う、ということは、よくある話。同輩中の意外な誰かが、数年すると、抜きんでている…
「頭角を現す」という言葉、こういう時に使うんだ、とはじめて知ったのは、冒険家の植村直己さんの生涯がTVで紹介されていたのを見たときだった。植村さんは明治大学で山岳部(ワンゲル部だったか)に入部してめきめき頭角を現し…というのを耳にして、山のぼりにも優劣やうまい下手があるのか、と、世間知らずだったぼくはびっくりしたんだっけ。
概して当時のぼくは、大人たちは職場に行ってみな決まった時間同じ作業や事務をしている、と思い込んでいて、仕事ができるやつ、とか、優秀な人材、とかの表現は、まったく意味が分からなかった。
スタイナーは英独仏を自在に操る学者で、優秀といえばこれほど優秀な人もいないだろう。日本ではナボコフの言語能力にお門違いの評価を与えた人、ととらえる向きもあろうけど、それでもってばっさり切り捨てられない良心の鋭敏さを持っているように思える。『バベルのあとに』は翻訳出たんだっけ? いつか読もうと、原書は買ってある。