俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Duid Deed

 もちろん新しい”形容詞”の発掘にも力を入れた。そして中高生の若者言葉に注目していると、相模原・町田を中心とする地域の少年少女たちの日常会話用語が関東圏では一番新鮮だということになり、早速ぼくは”形容詞”さがしにでかけた。その時にはじめて”ウザイ””ダサイ””カルイ(カッタルイ)”という今でも使用されている若者言葉を採取した。

 当時相模原は、荒野のなかに国道十六号線だけが目立つ西部開拓時代のさびれた町のような風景だった。この時代から十五,六年ほど後に、相模原地域の中途退学生徒がよく再入学する橋本高校の国語教師に赴任したのが俵万智で、彼女は、言語感覚が鋭いヤンキー系生徒たちを教えていた。新感覚和歌集『サラダ記念日』が生まれた事と、生徒たちの言語感覚は無関係ではないと、ぼくは後年、理解した。

 

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)

 

  いろいろ面白いが、昨日も書いたとおり、血のにおい、死の気配が立ち込める書であり、あまりむきになって再読しない方がいいだろうなと思いつつ、面白かった個所は拾っておこう。

 上の一節は、三島の奇矯や奇行の記述にあふれかえったこの本の中に、一陣のそよ風のように吹き込んでくる。不良ことばと俵万智の短歌の関係自体は、やや疑わしいけれども、ことばに敏感な若者たちとの生活でもまれるうちに詩的言語が研ぎ澄まされてゆく、といったことがもし本当にあるとしたら、とても魅力的なことだ。

 北海道に生まれ育ち、今もそこで暮らすぼくにも、不良たちの言語感覚の鋭さ、といったことはおぼえがある。誰かが収集・記述してくれていればいいのだが、同年齢で学年も同じ(留年などをしていない)同輩のことを「ドンパ」などと呼びならわす言い方は、不良サークルを越えて、ふつうの少年少女たちにも広まっていた。あるいは、自分が実際に体験しつつあることをあたかも伝聞であるかのように言う言い回し、たとえば「今日は寒いよね」を「今日はなまら寒いつったも」などと言ったりする流行が、ほんのいっとき、あったはずだ。

 そういうものに敏感な詩人/歌人教師というのもあるいはいたかもしれないが、具体的には、ぼくは知らない。むしろ、北海道の郡部から巣立った何人かのきわめて有名な音楽アーティストらが、そうした言語的洗礼をくぐり抜けた挙句に、清冽なうたのことばを獲得するに至ったかもしれない(これは想像にすぎないのだが)。

 冬の終わりがやっと来たかな、というこの頃。バド・パウエルのLPを出してきて、飽きずに聴いている。いいなあ。


Bud Powell - Duid Deed