俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

マイ・ピュア・レディ

もっとも、マルクスがチェルヌイシェフスキーの著作を読みたくてロシア語を学習した時、初等の文法を終えた彼が上級の読本として選んだのは、ゲルツェンの『過去と思索』の最初の部分[…]であったというから、両者はまんざら縁がなかったわけでもないということになる。だが、同じ時期にロンドンに滞在した両者が、一度も顔を合せなかったというのは、ロンドンがどれほど大都会であったとしても、亡命者の世界は狭かったはずということを思えば、両者はよほど互いに嫌い合っていたということなのだろう。

 

ゲルツェンと1848年革命の人びと (平凡社新書)

ゲルツェンと1848年革命の人びと (平凡社新書)

 

  もう数回読まないと頭には入らないだろうな。ヨーロッパ史の深い知識がないと、脈絡をたどるのはひどくたいへんでもあるし。でも、こういう本が読みたかった、という感じはやはりある。

 チェルヌイシェフスキーは、ずっと前モスクワに語学の研修で行ったとき、おなかを壊して寮にこもりきりの数日、読んだ記憶あり。『何をなすべきか』の評価は、現在とても高いとは言えないけれど、途中まで読んで、すごく面白かった。

 マルクスがロシア人を目の敵のようにしていたことはよく聞くけれど、以前読んだ何かによると、ロシア語に無知なばかりにバクーニンにいいように引っ掻き回された、という思いがあったらしくて。初等文法はちゃんとやったのだな。

 今朝は当方も、ロシア語の新聞を広げて読んでたけれど、あっという間に3時間くらい経ってしまう。それでいくらも読んだという実感、充足感、ないのだ。もっとやらねば、はらわたにしみ込むようなわかり方はできないのか。知的遊戯としてわかろう、と、こざかしいことばかりやっていた期間が長いから、ロシア語が心を開いてくれなくなったのか。

 昨日は路面の雪がとけ、びちゃびちゃという日だった。冬の終わりはまだ遠いけれど、この、厳冬期の終わりを、ぼくらは子供のころから「春先」と呼んでいた。まだ寒い日もあるが、一月から比べたら、気分はうんと軽くなった気がするな。


資生堂 クリスタルデュウ CM(1977年) マイピュアレディ 小林麻美