俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

I've Told Every Little Star

 それで、千葉へ行ってからが問題なんだよ。千葉の古本屋に入って、戦前の岩波文庫ね、もうそのとき発売されていないサミュエル・バトラーの『エレホン』(サミュエル・バトラ著、山本政喜訳『エレホン─山脈を越えて』一九三五年二月)を臆することなく、買ったんだ。これは高等学校以来の英文学に対する造詣の力ね。ふつう受験生はそんなもの手にしないわけね(笑)。その夜は、それを読みながら眠ったんだ。ところが、その晩読んでいたところが翌日、東大の英語の試験に出たの。試験の前に読む本なんて限られているからね。無数にある本の中からどの本を手に取るかということね。

 

回想の人類学

回想の人類学

 

  こんな話は別に珍しくはないのだが。たしかさる弁護士もその自伝の中で、有名大の入試前夜に世界史を一夜漬けし、本番でローマカトリックの誰かがばっちり出題されて合格した話を得意げに書いていたんじゃなかったか。

 ぼく自身、二十代の中ごろ塾のバイトをしていた時に、塾長先生が地元中学の模擬試験直前の講習で使った英語の長文問題が、そのまま翌日の試験に出題され、塾生が成績上位を独占し、塾の評判を上げたことをおぼえている。塾長先生は正社員の先生がたからやんやの称賛を受けて、してやったりの得意顔だった。そのとき、バイト講師控室でぼくが「いい勘してるよなあ」と言ったら、理系のバイト学生がばっさり「勘なんて存在しないですよ。偶然ですよそんなもん」と切り捨てたことも、昨日のことのように思い出される。

 運とか偶然とか、そういう要素は大きいだろう。しかし造詣とか素養という要素がまったく皆無というわけでもない。いつか某大の二次の英語の入試問題を見ていたらautism「自閉症」という語がふつうに出題されていて、こうした語に今まで接したことがあるかどうかが大きいだろうなと思った。一八歳で、この語が出てくる英語をふだんから読んでいる者というのは、まあ多数派ではないだろう。ぼくがこの語を知ったのは二七,八の頃だ。そしてなんというか、自閉症とはどんなものか、という内容とともに英文を読む経験をしないと、autism=「自閉症」という一片の語義だけ覚えても、応用はきかないんじゃないか。この語は入試に出るかも…とそればかり考えていても、こんな語は頭に残りはしない。

 先日来、実はもう春は来始めているんだよな…と思いつつ、一月がまだ数日残っていることに深いため息。


Linda Scott - I've Told Every Little Star