俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

'Round Midnight

 彼[ポランニー]は経済学の背景にある一九世紀ヨーロッパの市場社会が普遍的な存立の基盤を持つものではいささかもなく、きわめて例外的な条件のもとに、いくつかの虚構性をその前提として成立したものであることを強調した。すなわち、「産業革命」によって、それまで社会システムに統合されていた経済システムが離脱し、独立した結果として「自己調整的市場」self-regulating marketなるものが成立することになり、その内部に生きる人間は利得極大化をもっぱら追求する「経済人」economic manであることが当然のこととされたばかりでなく、本来、商品ではないところの労働、土地、貨幣が商品と擬制されて、これらが市場メカニズムにゆだねられることとなったのである。その結果として、これらの擬制商品が利得追求の対象として取り扱われることとなり、このことは人間と人間の関係、人間と自然との関係を翻弄することによって、不吉な状況を作り出したのであったが、こうした状況から人間の解体をからくも阻止してきたものは市場経済の深層になお存在している〈社会〉の自己防衛機制であって、市場メカニズムの作用にさまざまな角度からブレーキをかけていたというわけであった。

 

経済人類学序説―マルクス主義批判 (1984年)

経済人類学序説―マルクス主義批判 (1984年)

 

  今更とはいえ、一応読んでおこうかと、この本を買いました。二〇〇三年に新版が出ているようですが、そちらはバカ高くて手が出ず。

 八〇年代への郷愁がらみで取り寄せてみたというのもありますが、なんといっても当時から「経済人類学」って、西洋経済史の優秀な先生たちが、従来の参照枠に物足りないものを感じて始めた、という理解なんですね。もちろん、ポランニー、ゴドリエ、メイヤスーといった西洋の先達らの仕事があってのコレにはちがいないんですが、湯浅先生は仏文出身で経済史に進んだ人。この本でも、経済史の方法論を整理している部分にさすがの精彩があります。

 でもって、冬から、歴史と文学との関係といったものをにわか勉強してきて、ここにも何かヒントがないか、とパラパラと。

 ところで、ここでは市場原理の異常肥大から守られるべきものとして「人間」が登場するのですが、フーコーによれば「人間」もまた一九世紀の産物、じゃなかったか。また、市場の暴走をからくも阻止するものとして「市場経済の深層になお存在している」社会的なるものが持ち出されるんですが、この「深層」。これ、実証になじまない要素を多分に含んでるように思われ、栗本先生など、ときどきこの周りをぐるぐる回ってなかなか「そこ」にたどりつかない、といった印象も当時あったですね。

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 昨日は暑かった。風呂で水を浴び、脱衣場でチャーリー・パーカーをかけっぱなしにして四〇分ぐらい涼んでいました。そうやって窓から夏空を眺める、そんな日が数日ありますね。

 今日は涼しいですよ。なんかこのまま秋になっちまうのかというくらい。お昼にMJQを聴きましたが、でもまだMJQって季節じゃないな。


Modern Jazz Quartet - 'Round Midnight - YouTube