Ghosts
もちろん翻訳者にとっては、じゅうぶんな翻訳というのは決してありえません 。しかし、(セルバンテスの見事な言い方をまねるなら)その名前などわたしにとっては知ったことではない学者さんたちのなかには、いやしくも自尊心のある大学では、カリキュラムでは完全に翻訳を禁ずるべきだと信ずる人たちが実際にいるのです。そうした先生たちの言うことを聞いていたら、彼らの文学専攻生は、作品を原語で読むか、さもなくば作品をぜんぜん読まないか(すくなくとも大学の授業では)という困ったことになってしまうのです。おどろくべき主張ではないでしょうか? これが実際どういうことか、考えてもみてください。たとえば、もしアフマートワをロシア語で、ブレヒトをドイツ語で、モンターレをイタリア語で、ガルシア・ロルカをスペイン語で、ヴァレリーをフランス語で、カザンザキスをギリシャ語で、イプセンをノルウェー語で、ストリンドベルグをスゥエーデン語で、サラマゴをポルトガル語で、またはシンガーをイディッシュで読めないのなら、20世紀文学に関する正式な、お墨付きのあるクラスでは(とくに大学院入学者の場合)、これらの作家を研究することは許されてはならない、ということになるのです。わたしは成人後の人生の大半を、主に外国語学部で教えることに費やしてきましたし、学生ひとりひとりに、母語のほかにいくつかの言語をやりなさい、と言ってきましたが、大学の授業から翻訳を排除するなどということは、一度たりとも考えたことはありません。翻訳なしで、どうしてやってゆけるでしょうか?もっと言うなら、世界にはわたしの読めない重要な言語、英語に訳されていなければまったく知らないままだったろうという重要な文学作品ががこんなにたくさんあるというのに、翻訳なしでどうすればよいのでしょうか?
Why Translation Matters (Why X Matters Series)
- 作者: Edith Grossman
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解毒剤代わりの読書。今年の前半、飛ばしすぎたからね。
夏至。セミも鳴かず、静か。この半年、速かった。
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