青年の樹
3月の旅からもうひと月。旅情もすっかり抜けて、月も変わり、陽光さんさん、この地方も雪どけが急速に進みつつあります。あの旅の記録も、今日で最後にしましょう。
「恩師」と何度も書いていますが、複数形のない日本語の悲しさ、「恩師」はあの大学に数人います。今回最終講義を行ったのはロシア文学の師匠。
講義は晴れやかに終わり、場所を移して歓談していると、日本語の達者な白人のおじさんが恩師に本を返しに来ました。When Russia Learned to Read.という本。これ、何となく知ってはいましたが、目を通したことのない本で。革命前のロシアの識字率の向上と大衆文学のことを書いた本。むしょうに読みたくなって、帰着して、えらく安い版をみつけ注文してみました。2週間くらいで届いたかな。
なにせ厚い本なので、最後まで読み切ってるひまはないや、と思いつつ、なんだかんだで第4章まで読みました。文章は決して滋味あふれるものではないですが、とにかくよく調べてあってくわしいです。
シャーロック・ホームズものといえばコナン・ドイルの作品ですが、その二次創作めいたものも出ていた由。しかも、架空の探偵であるホームズが実在すると思い込んでいた読者も多かったというので、これは勉強になったなあと思います。昔、NHKのTVドラマ『つぶやき岩の秘密』のなかに、「これくらいの年齢の子供はしばしば空想と現実をとりちがえるものですよ」といったセリフがありました。これはぼくだけのことなのかもしれないですが、SFないし幻想文学は全部作り事、なので純粋にファンタジーを楽しんでね、と言われてしまうと、逆にとてもつまらないのですね。11~12歳の子供にとっては、世にも不可思議なことがあたかも現実のことのように書いてあるからこそ、ああいう物は面白い。体験的にそう思います。11~12歳の子供を貶めていうのではありませんが、読み手の世間知/世界観の未熟さこそ、幻想文学をリアルな物たらしめている重要な契機とさえ思います。だから、革命前のロシアの民衆が、「シャーロック・ホームズというすごい探偵がいるらしい」という形で推理小説を受容していた、という話は非常に刺激的でした。紋切り型な言い方ではありますが、そもそもnovelは「新奇なもの」の意で、newsと厳密には区別されないものだったんじゃないか、なんて。novelとromanceに当たる区別はロシア語にはないですが。
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恩師から習ったことは学問というよりは「青年の気概」ということです。打算、損得、あとさきを考えず、よしこれに賭けよう、と腹を決めること。結果、世間の常識からして勝とうが、負けようが、そんなことは少しも問題ではない。そのことを確認できたすばらしい最終講義でした。
When Russia Learned to Read: Literacy and Popular Literature, 1861-1917
- 作者: Jeffrey Brooks
- 出版社/メーカー: Princeton Univ Pr
- 発売日: 1988/02/01
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