発端は、あいざき進也
今日、amazonで以下の書籍を注文。
小沼純一『発端は、中森明菜─ひとつを選びつづける生き方』(2008年、実務教育出版)
書名と出版社名のギャップが味ですな。いやいや、小沼純一さんが明菜を論ずるのですから、これは大変楽しみです。どんな本なんでしょう。
帰宅してiTunesを立ち上げて遊んでたら、iTunesStoreでJust For Youとかいって、いろんな曲がレコメンドされるんですね。ふだんの僕の購買傾向から、コンピューターがアルゴリズムで割り出してるんだろうなー。要はアマゾンの「○○さん、おすすめの商品があります」とおんなじ原理で、「アレを買ったんだからコレも好きでしょ」とくるわけですな。たとえば、坂本冬美「夜桜お七」は、以前キンモクセイのヴァージョンを買ったせいで出てくるんでしょう。
ただ、こっちの好みはアルゴリズムが想定するほどまっすぐでも素直でもないからな~。なんて思いながら、どどーっとでてくる曲名を見てたら「あいざき進也 気になる17歳」の表示が。え?あいざき進也がiTunesで買えるの?
あらためて検索しなおしたら、あいざき進也さんのベスト盤が買えます。当然、即購入。
明菜よりも聖子よりも繊細な歌謡曲シンガーをひとり挙げろ、と言われたら、ためらわずに僕はあいざき進也、と答えます。「気になる17歳」「のほか、「思い出のバイオリン」や「君のハートに火をつけて」の、もろい砂糖菓子のようなデリケートな歌声。これに比べたら、郷ひろみでさえ猛々しいくらいです(注:猛々しいは大げさにしても、郷さんには独特の男らしさがありますよね。念のため)。
いつでも僕にバイオリンを 聴かせてくれたあの部屋で
揺れてた黒髪 僕は指で 触れてみたかった
バイオリンで西洋音楽の古典を聴かせてくれていた年上の女性への思慕が、黒髪に触れてみたかった、という半ばあからさまな性的欲望として表現されています。そして、なんといっても、あいざき進也さんの、高音域で悶絶するような歌唱法。70年代の少女たちって、ずいぶんエロい楽曲を聴いていたんですね。
僕の音楽的体験の原点には、「つねにすでに」、歌謡曲の内包しているエロスがあると思うのです。こういうのを聴いてたからこその今。iTunesStoreでつぎつぎにお勧めで出てくる楽曲をみていると、そう実感します。