厄落としのマイルス・デイヴィス~not worth a plugged nickelとは「一文の値打ちもない」ということ
K そうそう、よく覚えてる。のんびりした時代だった。バラック建ての生協食堂に行けば、脇の石炭小屋に雪が吹き溜まり、タバコだって、一箱ではなく数本ずつ分売していた。あの授業、高松さん、彼は授業が半分方すすむと、必ず一服吸うために休憩する。教卓に向かい、銘柄はたしかホープだった、学生が見守るなかを実に美味しそうに紫煙をくゆらす。ぼくは早とちりして、先生が喫んでるわけだ、学生もいいんだと思って、教室後部の席で、一本とりだして火をつけたとたん[…]
本州に渡った後、ぼくはもっと南下して東京を目指そうと思っていた。
思っていたが、予定より一年早く大学院を受けようと思ったとき、あれは秋も深まったころだったか、今から思い立って受けられるのは札幌北区のあの大学だけらしい、となって、前に卒業した大学の書類を大あわてで取り寄せて、出願した…いや、そうじゃなく、東京の複数の大学にも往復はがきで過去問の閲覧の可否など照会したのだ。が、まともに返事をくれたのは東京外大だけだった記憶がある。それでいろいろ思いあぐねて、ああいう選択になったのか。
今、勤めもやめてしまって、それでも年数回、研究目的で三つ目の母校を利用させてもらっているのは、何ともありがたい限り。しかし、知っている先生もどんどんいなくなってしまうし、やがてはまた、いつかのように、どこの大学にもつながりをもたない〈母校喪失者〉になるんだろうな。
まだ疲れが取れない一日。『自習ロシア語問題集』は23課まで。
これも札幌で編まれた問題集なのだけれど、大学院生として入ったために、教養課程のロシア語を担当されている先生がたとはほとんど接する機会がなかったのが残念だ。外部の人には不思議がられるが、そうした先生がたは、研究室も地下鉄一駅ぶん離れたところにあって、学部や大学院教育にほとんどまったくタッチしていないのだった。その意味で、完全に母校にもできないまま、あの大学を去ったのも事実だ。
マイルズ・デイヴィスの『プラグド・ニッケル』ものは、昨日書いた通り、完全盤を入手すれば全貌を知ることができるが、先立つものがない身としては、いつか札幌で買った『ハイライツ』というのを繰り返し聴こう。聴くのは、実に20年ぶりくらいか。これだけでも、この時期のマイルス一門の若い衆のぶっ飛びぶりは充分わかる。持ってるんだから聴かない手はない、そんな一枚。売り払うなんてとんでもない。聴いて聴いて聴きまくって、墓場まで持って行きたい。厄落としにはもってこいじゃねーか。
Highlights From Plugged Nickel
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- 発売日: 2008/02/01
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Highlights From Plugged Nickel
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Macに戻るかどうかは、いろいろ調べて、自分で決める。ひとまずデスクトップ機は動いているし、Surfaceもあるので、あせる必要はない。とりたててひとに相談はしないつもりだが、動画のたぐいは参考になる。↓では同じマシンでWindowsも立ち上がっているが、自分はそういうことをやるスキルはないので、技術上の冒険はせぬつもりだ。
乾湿式コピー機のこと~隣の部屋ではトニー・ウィリアムズがマイルスをボッコボコにしている
Q 最初に出会った処女詩集だったということですね。
K だから、あれは何十年も書棚にありました。丁度、学部に移ったとき、川端香男里(当時は山本 香男里)先生が、二十九かそこいらだったでしょうか、北大に赴任してきて、ぼくらは当時の青い液のなかをくぐってでてくるコピー・テクストで、世紀末のロシア象徴派の詩の講読がおこなわれたのですが、これが愉しかった。香男里先生は朝が早く、アレクサンドル・ブロークの詩を美しいキリル文字の筆記体で書き写してきて、それをコピーするので、手伝ったものでした。若いアンナ・アフマートワを最初に認めたのが、ロシア象徴派の巨匠ブロークですからね。ぼくはモスクワ派よりは、レニングラード派の詩に最初にふれたわけだった。
Q なつかしい。あの青い痣みたいな色に染まった、乾湿式コピイ機でしょう。最新兵器でしたね。手書きだったし、まだヘルメスの重量級のヘビーな、毛むくじゃらしたフォントも、手に入らなかった時代…。で、英文の必修の文学史の授業に出てみると、ほら、彼、ダレルの訳者だった、そう、高松雄一先生、黒板いっぱいに綺麗な書体でイギリスのロマン派の詩を書く、それをノートに書き写した。
この大学に自分も数年いたけれど、ほんの5年違うだけでも大学の中はそうとう様子が変わるので、ましてやこの時代のことはぼくにはうかがい知るすべもない。コピー機の発達というのも時代を反映していて、ぼくが最初に行った大学ではやはり青い液のなかをくぐって出てくる式のコピーしかなく、きっとそのころまでは、ロシア語や英語の詩の演習でもそうした授業風景があったかもしれない。当時はぼくは文学部というところには縁もゆかりもない、ただのふつうの(経済の)学生だった。
三年連続で、恩師たちの最終講義に出ることが続いた。いずれも、長い教壇生活を成功裏に終える先生がたで、自分もその晴れやかさを少しおすそ分けしてもらって帰ってきた。そうしてそれをたましいの糧に、長い一年を何とか乗り切る、そんな日々だった。
で、自分がどんだけそうした先生がたの教えからずれてるかということも痛感させられる一面もあるわけで、万年床でSurface Pro 3を操作しつつ、廊下をへだてた私設研究室(4畳半)では、1965年の12月のプラグド・ニッケルでのマイルス・デイヴィス。御大をあおるようにして、まだ小僧っこのトニー・ウィリアムズがボッコボコにタイコをたたいている。
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これはたしか完全盤がCD8枚組だったか10枚組だったか7枚組で出ているはず。勤めているとき、買わなかった。今じゃとうてい買えない。でもこの『ハイライト』だけでも、そのすさまじさに圧倒される。これと重複しないCDも出てるみたいで、欲しいなあ。
The Complete Live At The Plugged Nickel 1965
- アーティスト: Miles Davis
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- アーティスト: マイルス・デイヴィス,ウェイン・ショーター,ハービー・ハンコック,ロン・カーター,トニー・ウィリアムス
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- 発売日: 2001/02/21
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で、すっかり緊張が切れてしまった語学徒の冬学期だけれど、『自習ロシア語問題集』をようやく21課まで。副動詞を間違えまくって、忘れてること多いなあと痛感。ふだんいかにロシア語を書いてないかという証拠。
Macに戻ることも検討中。中古のMac Proを買ってメモリやHDを増強するとけっこう強力なマシンとしていまだに使えるという動画もあるが、自分にはそういうスキルがないから、やめといた方がいいかもしれない。
次の一冊は、↓これかもなあ。ふと出てきて、そういや読んでない。研究室のソファに寝っ転がってこれを読んでいた後輩は、ロシア語も英語もよくできるやつだったけど、北海道に見切りをつけて、内地に転職した。
Breakfast at Tiffany's (Penguin Essentials)
- 作者: Truman Capote
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Miles Davis - So What/The Theme (Live At The Plugged Nickel)
駅~FMの失恋ソング三昧を聴きとおしてしまった春分の日
駅 Eki (Live) - Mariya Takeuchi 竹内まりや
札幌から帰って、まだ疲れが取れず、世間も連休の最終日だし、まあいいか、と一日ラジオを聴いていた。NHK-FMの『今日は一日失恋ソング三昧』。竹内まりや「駅」が流れ、そういえば、先日の最終講義をした先生は、夫君も高名な大家で、学才に優れるだけでなく人柄を慕う人が多く、言ってみればアカデミア版竹内まりやみたいな人なのだった。
勤めていたころのことはもういいのだが、驚いたのは若い先生がたに、ポストを得るか得ないかのころからちゃんと結婚相手がいるらしいことだった。別に驚くような話でも実はなくて、二十代後半から三十代にかけての若者らにちゃんとそういう相手がいるのは、当然すぎるくらい当然なのだ。
てめーら適度な高学歴同士でつがいになりやがってとか思う…というのは、実はあんまりなくて、自分もじきにそうなるだろうくらいに考えていた。が、同じ客観的条件をいくら与えられても、なぜかぼくにはそういうめぐりあわせは来ない。来ないものは仕方ない。で、ずっとひとりだ。
で、今日の失恋ソング三昧だけれど、どうも自分の場合は、番組でさかんに紹介されていた失恋の事例ともちょっと違うのではないか。それは子供のころ、公務員宿舎に住む転勤族のこどもの親が、ぼくの家のことを「あんなところに遊びに行くな」と言っているのを知ったときの、頭を殴りつけられたような衝撃に近い。
ちょっとうまく書けないので、ここまでにしておこう。中堅大学に転出するかつての友人のことがうらやましくないかといえば、ちょっとはうらやましい。しかしもう、妬ましいとまでは感じない。ぼくは地球に遊びに来た男、くらいのつもりで、ゆっくり、あせらず。また新年度が始まるし、そのうち楽しいこともあるだろう。
ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内 (知恵の森文庫)
- 作者: 丸谷才一
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ラズベリー・ドリーム~マキャベリの英語の伝記が出たみたいで
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『君主論』は、書庫に行けば見つかると思う。で、マキャベリの英語の伝記。買ってる余裕はないと思うけれど。
先日書いたとおり、マキャベリにおける「徳」というのは日本語で言うような「人徳」のことではなく、ふりかかってくる運命を主体的に操作する才覚のことを言い、これはいわゆるマキャベリズムの名でふつうに通用している考えだ。悪い意味で使う人も多い。
ちょっと飛躍するかもしれないが、先日、旅先のホテルでコインランドリーを使っている間、ロビーにおいてある日本経済新聞を読んでいたら、「ひとりひとりをおもんばかっていたら指揮官は務まらない」といったことが書かれてあって、アハハと苦笑。大学でも、管理運営にたずさわるような人らは、今はこういう考え方なんだろうなあ。経営学なり現実の企業経営なりのこういう面は、私見ではマキャベリの「徳=ヴィルトゥ」の思想に通ずると思う。
だから、社会思想史は、けっして死んだ学問じゃない。理系の教授が要職についてからリーダーシップ論のビジネス書なんか読んでいるのを見たことがあるが、まあそういう立場になってから急に『君主論』なんか読んでる余裕はないわな。若いうちに、文系も理系も、こういうところにまでさかのぼって勉強しておくといいんじゃないか。
なんでもいいけど、この時期に知っている先生の最終講義に行くと、人事の動静がいやでも耳に入ってくる。かつてはぼく自身が、大学に赴任が決まったことを本州の恩師に報告に行く立場だった。なんでもいい、みんな元気でいてくれよな。また遊ぼうな。
定義不可能な先行性としての「価値」~マルチ・ディスプレイをやってみたいと思いつつ
貨幣は使用しているうちに摩滅し、名目上の価値ではなくなる。実質的な価値と名目上の価値が分離する。だから紙幣で代用できる。紙幣は「記号」になる。
今朝はよく寝ていた。もう覚えていないが、明るい、いい夢見で、いつも通り自宅で寝ているのだと思って、それにしてもいいベッドに寝てるなあ…と目ざめたら札幌のホテルだった。
それから支度をしてチェックアウト、JRやバスやらを乗り継いで帰ってきた。今朝はまだ札幌にいたのが信じられない。
で、いま「しょし」と入力して「初志」ではなく「諸氏」と出てしまったが、本当に
「初志」からも「諸氏」からも遠いところへ来てしまった。この二十年ばかりがまさに走馬灯のように脳裏をよぎる。ずいぶん以前にモスクワの図書館で某作家の本の大半のコピーを取ってきたことがあって、自分では手に余るので他のかたに委ねてしまったのだけれど、そんなことはすっかり忘れていた。それをもとに翻訳が出たことがあり、そのお礼を言われたりしたが、もう何やら自分のことではないみたいな気がする。
札幌の大学では活発に研究活動が行われており、ここ数年、年に何度かお世話にはなっているからまんざら今ウラシマでもないのだが、このところ最初の大学で学んだ(学び損ねた)ことばかり考えていたせいもあって、自分の関心のありかは、文学プロパーの人らとは、かなりずれているのに気づくのだった。
最初の大学で学問らしい学問が修められなかったのは、自分が、自分に甘い怠け者だからだというのははっきりしている。が別の見方では、経済学自体がその核心に、子どもにはわからない〈定義不可能な先行性〉をはらんでいるからだ、とも言えはしまいか。
たとえば、上掲の本にこんな一節。
たとえば今ここに一〇〇〇円札があると、これはなぜ一〇〇〇円札として通用するかといえば、みんなが一〇〇〇円の価値があると思っているから。これを「共同幻想」といいます。これはなぜお金なのか。みんながお金だと思っているからだ、という説明しかできないの。[…]
この点。なまじ浅く納得してしまうと、あまりにあほらしくて、それ以上は経済のことなんか勉強したくなくなる。そこを、若ければ若いなりに自分の頭脳で一回徹底的に考え抜くことが必要ではないか。そうでないと、そのあとの剰余価値のことなど魂にも頭にもすんなり入っていかない。これは、簡単に言おうと思えばいくらでも簡単に言えて、価値は価値だから価値なんだ、という、それだけのことでしかないから。
もう昔のことだけれど、TVの教養番組か何かで、当時気鋭の社会学者が出てきてこのことにふいに触れた。「剰余価値というのはマルクス経済学にしか出てこない概念だが
すごく重要で(うんぬん)」といったこと。そこを今さらたどり直している。
ただ、経済学者の研究テーマの選び方の話として、「きみ、価値論は損だよ」ということはあったらしい。結局、形而上学になってしまうから、経済学としては完結せず、論文も書けない、ということだろう。どうもエソテリックで入りづらい。何を読めばこういうことが書いてあるのか。
パソコンにばかりお金をかけてはいられないけれど、このSurface Pro 3を大きなディスプレイにつなぐことをやってみたい気持ちは変わらない。Pro 4というのも出たらしいが、ちょっと手が出ない。
Surface Pro 3 Tips - Working in the Office with 4 Screens, 4K Display, Docking Station...
負けないで
南サハリンは、日ロ戦争の後の一九〇五年の日ロ講和条約によって日本がロシアから割譲され、その後、サンフランシスコ平和条約によって放棄した地域である。しかし、サンフランシスコ平和条約では日本が放棄した南サハリンの帰属先は記されておらず、ソ連邦もこの条約に署名していなかったことから、国際条約上は南サハリンの帰属先は未定ということになっていた。冷戦時代、特にサハリンが外国人立ち入り禁止区域であった間は、日本政府はサハリンに対するソ連の法的な領有の認知につながりかねないことはしないという方針をとってきた。
メモ代わりに。
いったんは日露混住の地とされたサハリン島に徒刑囚を送り込み、そこを陸の帝国としての自国の最新のフロンティアにしたロシア、千島樺太交換条約で全島を領土とし、日露戦争後は南半分が日本領となったものの…という話を聞いて帰ってきた。国際法上は今も帰属先が未定という、そのことを思い出し、引いておく。
あとこれの訳者と話し込む。上演用の台本など見せてもらった。版元が倒産したが、新社のほうから出し直しが出た話とか。
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サヴィンコフも、午前中の会で言及されていて、びっくり。あとで宴席で大先生たちに、これを専門にやる人は今いるか聞いたら、「あれはぼくらの世代にとっては○○だけど、今は…」と苦笑い。
いろいろ勉強になったが、たまにかつての同業者の中にいて思うのは、楽をしている人は本当に本当にひとりもいないということ。みな苦労しながら勉強を続けているので、多少のことで負けていてはダメだ、ということになるか。坂井泉水が歌って遺してくれた、負けないで、という言葉を、今日は、ひねくれ者の自分には珍しく、字義通りに受け取っておこう。
石焼イモとイチゴミルク~春先から初夏にかけての北海道
大正八年四月、病気療養のために札幌に帰る菊地ゆきえに同行して吉屋信子は北海道へ渡った。二日がかりで着いた札幌からはひとりになった。さらに二十四時間かけて十勝の池田へ行った。そこには四人いる兄のうちの三番目、東京帝大農科を出た忠明がいた。忠明は大倉組系列の日本皮革へ入り、その池田製渋所長となって赴任していたのだった。
初夏は北海道のもっとも美しい季節である。吉屋信子はスズランの花のかおりを吸い、新鮮なイチゴミルクを飽きるほど食べながら、五月から七月下旬までの三か月間で『地の果てまで』という題名の六百枚の小説を完成し、原稿をていねいに木箱に詰めて発送した。
うわあ、初夏。むろんまだ冬なのだけれど、そんなこと言っているうちに、あっという間に冬の終わりと初夏がせめぎ合う季節になる。
北海道は広いから、よほどの転勤族でも、その地方のすべてに住んだことのある人など、めったにいない。まして土地に生業なり転勤のない勤めを持っていたら、となりの管内(いまでいう振興局の管轄区域)に行くことすら、めったになかったりするのだった。
東京の文士が書く北海道はどこか潤色されているような気がするけれど、イチゴミルクを飽きるほど食べるというのも、ちょっといい。
「石焼イモ」は、思い出いっぱいの曲。ヒットしたのかこれ。当時ホームセンタに行ったらこれが流れていて、切なかった。あれから幾星霜。