俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

銀の雨

「一雄は強い子ですね」

「はい」

と私はしっかり云った。

「苦しいことにも泣かない子ですね」

「はい」

と私は重ねて云った。

「私は、いつまでもあなたのお母さんにちがいないけれど、もう母さんと呼べなくなるかもしれませんよ」

 声がつまって答えられなかった。

「けれど決して泣かないことを約束しましょうね。母さんも泣きません」

「はい」

「そうして、いつまでもここにいらっしゃい。ここで偉くなって下さいね」

「はい」

と私は肯ずいた。

「お別れに、この雑記帳に名前を入れて上げましょうね」

母は色鉛筆を丹念にといでいった。二十四色を一本一本けずり上げると、その青で名前を入れたが一冊ノートの中にだけ私に読めぬ文字を書いた。

「これはね、カンナンナンジヲタマニスと読むのです。どんなに苦しい悲しいことに会っても、それに負けなかったら雄々しい立派な人になるというのです。[…]

 

花筐・白雲悠々―檀一雄作品選 (講談社文芸文庫)

花筐・白雲悠々―檀一雄作品選 (講談社文芸文庫)

 

  遅い夕食を老母と。なんで遅くなったかと言うと、ちょっと寝るから、とぼくが言って奥に引っ込んだから。それで老母は声をかけずにいた。ぼくはそれを半分忘れて本を読んでいて、今日はずいぶんご飯遅いなあ…と思っていた。

 どっちみち何もしない生活だから、おなかもすかない。晩ご飯があんまり早すぎると、寝る前に何か食べたくなってNG。

 まだ夏至の前だけれども、今年も夏はあっという間に終わるだろう。いつも月の数に六を足しては、半年後はまた真冬だなあ、とため息をつくことの繰り返しだ。あと幾度、これをくり返すのだろう。

 とりあえず、今は夏の雨が降る季節で、七月と八月の出張を終えたら、ずっとやってきたこともそろそろ総まとめになっていくだろう。師友に恵まれた、なかなかの人生だったけれど、きちんとご恩を返していないどころか、借りが増えてゆくばかりで、山積した難問は一つも解決していない。


銀の雨 松山千春

 

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朝日のあたる家

  例えば、「トッポい」「イカレる」「ラリる」……といった表現を説明してやらなければいけないのだ。それも手紙で、それも日本人に対して。まあ、それだけだったらまだ何とかなる。日本人に対して、「潜水艦」が学生言葉で「学業不良」を意味し、「赤点」と同じだとか、「エグい」が「素晴らしい」の方の「すごい」を意味することを日本人に説明するのはつまるところそんなに難しいことじゃない。だけど、「フィグでもくらえ」のような表現はどうしたらいいんだ。先ず第一に、高見氏が「フィグでもくらえ」を「おみやげに熟した甘い無花果[フィグ]を差し上げる」の意味に取らないように、「馬鹿握り」のことであるフィグを字義どおりのイチジクの意味とはっきりと区別する必要がある。第二に、「馬鹿握り」を意味するフィグの指の形は日本人にとっては、ヨーロッパ人と、少なくともロシア人とは違った意味を持つこと。この三本指を使ったさほど複雑でないこの形は、かつて日本では、街娼たちが客を取るさいのしるしに使ったと…[…]

 

モスクワ妄想倶楽部

モスクワ妄想倶楽部

 

  今日も雨。20℃に届かない。涼しくていいけれど、日が暮れると寒いほどだ。これでも朝方はセミがうるさくて、初夏らしかったのだけれど。

 レトルトのカレーがこのところお気に入りだ。先日老母が、外出した時、天丼を食べきれずにエビ天を二本、袋に入れてもらって持ち帰ったときも、一本もらってライスの上に置き、そこにカレーをかけたらおいしかった。そんな料理はどこでも見たことがないけれど、けっこうなごちそうだった。

 7月の出張の予定を決めてしまう。誰かに相談してからと思わなくもなかったが、あくまで自分のことだから、ひとに決めてもらうまでもないこと。準備がぜんぜんできていないが、できる範囲で資料収集をしてくればいいくらいのつもりで。

 あとは、各種料金の払い込み。寄付金なんか払う余裕もないけれど、少し振り込む。あと、シャンプーとヘアトニック。トニックは、アマゾンで柳屋の安いのを買ってもいいのだけれど、薬局の店頭で、ひさびさマンダムを買ってみる。気分転換のつもりで。

 このところチャーリー・バードのCDばかり聴いている。高校くらいで、こういう渋いものに目覚めていれば、もう少し落ち着いた、着実な人生だったかもしれないが、まああのころはパンクロックの世の中だったからなあ。でもなんか、30年前、マイルスとミシェル・ルグランの共演した『ルグラン・ジャズ』を聴いていたころのことを、鮮明に思い出す。あのなかの「ジャンゴ」が、やけによかった。あのまま地味に学習塾の講師をしていれば、もっと早くこの境地だったか。

 今日も聴いている。飽きない。ガットギターの音色の地味さが、なんともいい。


House of the Rising Sun - Charlie Byrd Style Solo Jazz Guitar

 

 

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Nice Work If You Can Get It~雨のなかコップを買ってきた

 もう何度となく考えたことだが、文学の場合、人間の内面の世界については、どんなにリアルなものであっても、近似的にしか現実には対応できないものだ。ぼくはなんとか思い出そうとしていた。いったい世の中の文学作品で、今のぼくの状況や、それに似た状況に主人公が置かれた場合、なんのためらいもなく言下に、自分は行く意志はないと表明するようなケースが、たとえ一作でもあっただろうか。読者は主人公にそんなことを望むわけがない。そこで、やはり主人公は出かけることになり、幾千の障害を克服し、ヒロイズムの奇蹟を成し遂げるのだ。ところが、それでもやはり、編集者はもちろん読者の目にも、主人公は何だか薄汚れた感じを与えてしまうのが常じゃないだろうか。

 

モスクワ妄想倶楽部

モスクワ妄想倶楽部

 

  コップを買いに行った。

 いやなに、ワイングラスみたいなやつ、あれでノンアル飲料を飲んでたんだけれど、老母が洗おうとしたらひびが入っているというので。見たら、ほんとだ。危ないのでそちらは捨てることにした。

 で、今日は、同じようなワイングラスと、ふつうのコップと、タンブラーというやつ、それぞれ一つずつ。どうせ安物だが、気に入ったコップがあると楽しい。

 もうお酒を飲まなくなってだいぶ経つけれど、むかしはほんと、夕暮れにビールをくいっとやるのが最高で、そのためのコップは毎日だいたい同じのを使っていた。今でも、書庫兼物置きのなかでそのころの食器など出てきたりすると、昔のことがよみがえったりする。ほんといろいろあった。

 BS-TBSの月曜にやっている『酒場放浪記』は、だいたい毎週観てる。吉田類さんという、美術家・物書き・俳人らしい人が居酒屋に入って刺身や焼き鳥を食べてビールやホッピー、日本酒を聞こし召して…という趣向の番組だけれど、むろん、仕込んであらかじめ入念な打ち合わせ済みなのは観てれば何となくわかる。それでもこの番組は飽きずにずっと観てるなあ。同局では女性リポーターが飲み歩く『おんな酒場放浪記』も別の曜日にやっていて、そっちも二週にいっぺんぐらいは観ている。

 今日は雨。初夏ではあるが、ストーブをたくことがある。ほんとに夏のはじめらしくなるのは来週からだろうか。今日は、コップは買ったけれど、レトルトのカレーを買っておくのを忘れた。シャンプーやヘアトニックも切れかけている。

 チャーリー・バードのアルバムを繰り返し聴く。ガットギターを自在に操り、ちゃんとスイングしてる。あったかくて、なおかつクール。ほんと素晴らしい。


Charlie Byrd - Nice Work if you can Get It (1960)

ジャンゴ~英国の選挙結果のことを英語で読みつつあれこれ

May tries to soldier on, find allies

 

 『ジャパン・タイムズ・オン・サンデー』6月11日号、一面がこれ。soldier onは carry on doggedly, persevere≒「頑張る」。英国の総選挙でテリーザ・メイの保守党が過半数割れ政権運営が難しくなったことはTVでとうに報じられているけれど、記事で読むといろいろわかる。緊縮財税が若者層に嫌われたことが今回の負けに通じ、メイは北アイルランド地域政党DUPとの連携を模索するが、

Cutting a deal with DUP,which won 10 seats, may not be straitforward. The party's opposition to abortion and same-sex marriage places it at odds with modernizing Conservatives.

 DUP同性婚や妊娠中絶に反対しているため、保守党を近代化することとは相いれない、という。

 他の記事では今回のメイ首相の乾坤一擲の勝負の惨敗をMayhemと表現する。

mayhem ▶noun[mass noun] violent or extreme disorder; chaos:

 

Oxford Dictionary of English

Oxford Dictionary of English

 

 

 リーダースには「大混乱」とあるが、これと首相の名字Mayをかけているわけだ。

 ずいぶん昔、森喜朗が首相だったころ、政権が死に体と化した時、やはりどこかの英語メディアはMori-bundと表現した。

moribund ▶adjective (of a person) at the point of death:

 ■(of a thing) in terminal decline; lacking vitality or vigour:

 これもうまい表現だと思った。

 ついでに「乾坤一擲」とは

けんこん・いってき【乾坤一擲】運命をかけて大勝負をすること。

 

大辞林 第三版

大辞林 第三版

 

 

 

 

 

骰子一擲

骰子一擲

 

  ローリング・ストーンズ「ダイスをころがせ」は、むかし、『メインストリートのならず者』に入っているのを何度も聴いたが、売っちまった。マラルメのことはぜんぜん知らない。

 なんでもいいが、チャーリー・バードって、ほんといいギターを弾くなあ。これさえあればあとは何も要らんという初夏。


Charlie Byrd - Django

 

 

B Flat Blues

ウィントは次のように書いている。「モレッリの著作は、芸術についての当時の他の出版物とはまったく異った外観を示していた。その本のあいだには、指とか、耳とかの挿絵が撒き散らされていたからである。それらは、個性的特徴を示す注意深い記録であって、ちょうど犯罪者が指紋によって割り出されるように、それらによって芸術家は自己を露呈してしまうのである。モレッリが研究対象とした美術館は、いずれもその研究によって最初はまるで贋作者用陳列場のような観を呈したのである」。この比喩を美術史家のエンリコ・カステルヌーヴォはみごとに発展させ、モレッリの推定方法を、ほぼ同時期にアーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズに割りあてた方法になぞらえている。[…]

 

神話・寓意・徴候

神話・寓意・徴候

 

  N野充義先生の本を読んでいると、ラジオでロシア語放送を聴く方法が紹介され、ラジオの作り方が回路図付きでくわしく載っている。あれ、N野先生が電子工作? こんな本だっけ? と思っていると目が覚めた。

 相変わらず変な夢ばかり見るが、それを日記の片隅にちょこちょこメモしておくと、あとで読み返して、何とも不思議な気分になって面白い。

 モレッリという美術学者のことはよく知らないのだけれど、その方法をフロイト精神分析シャーロック・ホームズの推理法と等置する議論が面白くて、この夏はちゃんと読もうこれ。ホームズ物も、読んでないのがkindleに入ってる。フロイトも入ってる。

 19世紀末の文学なり思想はとっくに無効、という考え方もあろうけれど、現代思想の源流としてニーチェフロイトマルクスらのドイツ語圏のひげ面の変人たちの名をあげる文献は今でもよくある。遅ればせながらそういう勉強をしたい気がするけれど、そのために大学に籍を置く必要は必ずしもない。大学にはたまに訪ねていくだけにして、あとは自分で本を読んでいけばいい。

 昨日、さる方からTEL。いま大学に職を求めることはしているのか聞かれ、その道はもう考えていませんよ、といった話。ほんと、もうそっちはいい。

 日の長さを基準にすれば、いまがミッドサマー。こないだまで冬だった気がするけれど、早いものだ。夏至も近い。


Bud Powell - B-Flat Blues

 

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Coat of Many Colors~ビニジャンのあいつはどうしているのだろうか


Dolly Parton: "Coat of Many Colors" - The Voice 2015

 高校のころ、いわゆる汽車通だった。

 帰りの汽車に一時期、同年輩だけれど高校生じゃないあんちゃんが乗ってきて、途中駅で降りていたことあった。たぶん、中学を出てすぐどこかで働いていた人だろう。不良風にも見えず、おとなしそうなやつ。ファッションも、流行を気にするふうじゃない。寒いせいもあるけど、流行に関係のないへんな帽子をかぶっていた。彼が汽車を降りた後、その彼のことを同級生たちが話していた。いつも同じジャンパーを着ているけれど、それが当時流行していた革ジャンではなく、ビニール製らしい、ということで、誰かが「ビニジャンだな」と言った。

 その彼はいつの間にか見なくなった。話をしたことはないけれど、いつだか久しぶりに乗り合わせてぼくらの集団を見て、「おっ」と、知り合いに会ったように顔をほころばせたことがあって、なんとなく忘れられない。

 で、「ビニジャン」という言葉。そこから派生して、仲間のひとりが来ているジャンパーは「猫の皮じゃないかこれ」「あはは、猫ジャンだ猫ジャンだ」ということになってしまった。子供だから、加減を知らず、心ないことを言うのである。

 「ビニジャン」も「猫ジャン」も、子どもの間での流行を知らないお母さんが、「子供が喜ぶだっろう」と思って買って来たものだろう。そのことを今になって思う。そして、ドリー・パートンが”Coat of Many Colors"という、泣ける歌を歌っていたことを思い出す。子供時代、人がおいて行ったいろいろな色の端切れを縫い合わせて母親が作ってくれたコート。それを着て、お金はないけれど豊かだった、そんな曲。今日、老母にこの歌の話をしたら、もらい泣きしそうにしていた。

 

Jor Du~ポークソテーの日曜日

 一八七四年から一八七六年にかけて、『造形美術雑誌』にイタリア絵画に関する一連の論文が掲載された。その作者は無名のロシア人研究者イワン・レルモリエフだった。そしてドイツ語への訳者もやはり無名のヨハネス・シュヴァルツェという人物だった。その一連の論文は古典絵画の作者決定の新しい方法を提起しており、美術史研究家の間に反発や活発な議論をまき起こすことになった。数年後に、作者は顔を隠していた二重の仮面を取り去った。[…]

 

神話・寓意・徴候

神話・寓意・徴候

 

  老母が夕食のための豚肉と、凍らせておいた混ぜご飯の具をテーブルに出したまま、遊びに行ってしまった。いつものことだから、CNNを観ながら待ってた。なかなか帰ってこないので、自分で肉を焼くか、と思って、「ポークソテー」を検索する。いつも「トンテキ」と言っているが、だいたい同じだろうと思って。すると、ポークソテーは塩コショウをしたあと、小麦粉をまぶして焼くらしいのだ。いつもはそこまではしないが、やってみよう。で、小麦粉を探すが、ない。

 で、仕方ないので、老母の行き先のお友達の家まで迎えに行った。ちょうど玄関から、「いや~今日は楽しかったわ~」と言って老女たちが出てくるところだった。井戸端会議の日らしい。で、それはいいのだ。怒鳴ったりする必要はない。

 訊いてみると、小麦粉はうちになくて、たいていのものは天ぷら粉で代用してしまうのだという。まあそれでもいいや。豚肉に塩と、ブラックペッパー―、そして天ぷら粉をまぶす。そしてサラダオイルをフライパンにひいて焼く。切れ目を入れ忘れてちょっと反り返ってしまったが、まあいいだろう。肉を皿に取り、フライパンに残った肉汁に、しょうゆ、日本酒、砂糖を入れ、ソースを作る。これもレシピ通りにやるとなるといろいろ難しいのだけれど適当に。立派なおかずができた。レタスを添えて、日曜日らしい晩ご飯になった。

 しばらくは放心して過ごそうと決め、『バド・パウエル・イン・パリ』。病に苦しんだバドが、理解者にサポートされ、のびのび、思う存分弾いてる、そこが楽しいし、うれしいし、泣ける。


"Jor-Du" - Bud Powell