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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

関係代名詞節の魅力~1989年のゴンチチ

 Abe's plan is to leave intact the current wording - which bans land, sea or air forces -while adding a paragraph making clear the constitutionality of the SDF - which comprises land, sea and air forces. 

’Japan Times On Sunday' May 21, 2017

 内容に関してはコメントしないが、英語の構造ね。関係代名詞節がうしろに置かれて、そこに落ちがあるという、それを確認するためにメモっておこう。

 たしかずっと以前、息子の方のブッシュ大統領の演説というのを聴いていたら、 "I am from Florida, which is very close to the United States."と言って会場を笑わせていたことがあった。Floridaのあとに一応コンマを入れておくけれど、絶対ここにコンマが入るかどうかはわからない。高校でこの関係代名詞節について、制限用法、非制限用法の区別を習ったが、これもこういうスピーチの場合にはどっちとも言えない場合が多い。訳す場合には、ぼくは誤解の余地がない限りは非制限用法的に前から訳して行くのがいいと思う。これは「わたしはフロリダ出身で、あそこはアメリカにすごく近いんですよ」くらいに訳さないと面白くないだろう。

 上の引用も、語順の通りに理解していってこそ、「9条を変えずに9条を変える」ことの矛盾を衝こうという、この記事の書き手の意図がわかる。繰り返すけど、その当否についてはここではコメントしない。

 勉強ははかどらないで、今日は疲れて寝ていた。iPod、流しっぱなしにして、ここ16,7年、いやもっとひろく、ここ30年を振り返る。とにかく、長い時が流れた。ゴンチチの平成元年の放送音源なんてものがあるのか。


NHK-FM ニューサウンズスペシャル・ゴンチチスタジオライブ【1989.10.28放送】

あなたの町 恋の町~2013年のFM番組の録音を捜す曇りの日

 MDに録音したラジオ番組がどっさりあるが、ふだんは聴き返すことがほとんどない。しかし今日、ふと数年前のNHK-FMの深夜にやっていた番組を思い出した。「とことんしゃがれ声重量級」とかいう二週にわたる特集だったと思うけれど、たしか録音したのだ。

 ヴィソーツキイやビーフハートハウリン・ウルフみたいなのが次々かかる…という期待とはうらはらに、そんなにしゃがれ声じゃない歌も多かった、しかし面白く聴いた記憶がある。案内役はもとバービーボーイズの杏子ねえさんで、それがよかったのだろうね。

 で、たしか昭和歌謡の回があって、そこで青江美奈「伊勢崎町ブルース」が流れたのだ。この選曲はしゃがれ声特集なら当然だけれど、杏子さんの解説がすごく面白くて、それで憶えていた。

 今日、その回のMDを捜したら、あったよ。2013年の12月の放送だ。聴き返すと、杏子さんこんなことを言ってる。「伊勢崎町ブルース」はイントロや間奏の青江さんの「あ~ん、あ~ん」というあられもないため息が話題だったけれども、小学生も当時さかんに真似をしていた。で、当時、杏子さんのいた千葉の小学校では歌謡曲は歌ってはいけないきまりだったので、ましてやあれはNG。ところがへ理屈をこねる生徒もいて、先生に「『あ~ん、あ~ん』は歌なんですか、歌じゃないんですか」と訊ねると、先生は「歌です。いけません」という、ね。

 これは字にすると、別にどうってことない思い出話なんだけれど、杏子さんのあの口調で話されると、もうおかしくてたまらない。ませた小学生の女子や先生の口調をまねるところが、もうなんか絶妙というか。こういうお話をしてくれるお友達が欲しい。

 他に、和田アキ子、リリィ、フランク永井松尾和子、宇崎竜童、藤圭子江利チエミ美空ひばり、そして杏子さん本人と、まあそんなにしゃがれ声じゃない人も入っているけれど、楽しい掘り出し物で、お酒呑み生活をしていたらまちがいなくいいつまみだろう。でももう飲まないからねぼくは。

 で、こんなもの貼っておく。当時知らないけれど、いいなあこういうの。音源、どこかにないだろうか。


けい子とエンディ・ルイス - あなたの町 恋の町 - 1975

五月、河岸書店で~『ワルツ・フォー・デビ―』はやっぱりCDで持っていたい

 詩がそうであるように、世界も理念や概念の乗り物[ヴィークル]ではない。そのことこそが、それらがわたしたちの経験のなかにあるとともに、外在化しているという意味なのであって、世界が何で出来ているかを問うことは、決して交差することのない理念と経験という二重化を、どちらかへの一方的な還元を斥けながら、それぞれの諸相を貫いていき、その抵抗を確認していくことでしかありえないだろう。このことは、詩に関して言うならば、芸術か生活か、あるいは難解か平易かといった、ヨーロッパなら十二世紀ルネッサンスと呼ばれるトルバドールの詩文学から、そして、日本なら平安末期の歌人たちから、千年近くに渡って仮構されてきた対立が、およそ無意味で任意的なものでしかないことを意味している。本来、そこにあるものは、対立ではない。そのどちらかを捨て去った身振りをしてみせても、捨て去られたはずのものは、依然として揺らぎもなく存在しつづけるだろう。海洋か、陸地か、そのどちらかを得て、それが世界だと叫ぶことは、たやすく、そして愚かしい。

 

潜在性の海へ

潜在性の海へ

 

  

 

  五月がもう終わりにさしかかりつつある。毎年のことだけれど、4月から5月にかけての時の流れの速さ。

 ゴールデンウィークというのも、もうとっくに終わったけれども、いつの年だったか、まだ大きな川のそばに住んでいたころの五月の連休、その河岸に小ぢんまりした知的な書店があったらどんなにいいだろう、などと考えていたことがあった。

 もちろん田舎には、もはや文化の拠点となりうるような小書店は、きわめて存在しづらい。どこも大型店とネット通販に挟撃されて、そういう書店は消えつつある。もともと、学術書や洋書を置く店なんか、北海道の田舎にあった例をぼくは知らない。だからそれは、はなっから実在なんかするはずのない、意図的に見た白昼夢かまぼろしのようなものなのだ。でもぼくはその夢の書店に「河岸書店」という名前までつけて、大学ノートに「五月、河岸書店で」といううわごとめいたメモを書きつけた。

…とここまで書くと思い出すのだが、上に書いたぼくの「五月、河岸書店で」は、当時読みかけのままいまも読了していない堀江敏幸の小説を、きわめて表面的になぞった作文にすぎなかったと思う。思う、というのは、もうその大学ノートの現物は出てこず、確かめようもないから。

 そう、大学ノートに着想をメモして保存するといったことすら、もうその時はできなくなっていて、そんな荒廃した自暴自棄の生活のなかから、なんらか研究と呼べるものが生まれるはずもなかった。世の中には大学教師をしながら作家活動をする人もいるらしいことを知って、いったいなぜそんなことが可能なのかと、ただただふしぎな気分だった。

 

 

河岸忘日抄 (新潮文庫)

河岸忘日抄 (新潮文庫)

 

 

 ではあるけれども、そこにあの時の五月の陽光や、川面のきらめきや、ちょっとどぶくさい淡水と海水が混じり合う臭いや…が作用したこともまた否定できないことで、憶えているうちにここにメモしておこう。

 理系の先生が詩や俳句・短歌をやるのはよくあることで、ならばぼくらが大学勤めのかたわら文学活動をできないこともないはずだが、そういう例を案外知らない。ぼくも本当は外国語は口実にすぎなくて、『現代詩手帖』の常連投稿者になりたかったのかもしれず、そういえばここではどこへ行けばそういう雑誌のバックナンバーがそろっているのだろうか。

 有名詩人の詩・詩論はそれはそれで素晴らしいが、ぼく自身は、名のある詩人ではなくそういう雑誌の投稿詩や詩論に多くを教わった気が今でもする。そういうものの抜き書きやコピーの切り張りをきちんと作っておく習慣が当時あれば、今ごろたいへんな財産だったはずだ。

 ともあれ、四月、五月は、あわただしかった。心休まらず、心配事を抱えたまま、月を越えてゆくだろう。静かに暮らしたいなあ。

 話は変わるけれど、アマゾン・プライムで100万曲以上が聴き放題というのを、ぼくは今までほとんど使ったことがなかった。今日、ビル・エバンズ『ワルツ・フォー・デビー』、CD店に買いに行こうかと思ったが、これで聴けるのに気づく。タブレット端末からライン出力してステレオで鳴らすと、案外いいわこれ。これだもの、CD店、書店、大変なはずだ。ただ、これと『バド・パウエル・イン・パリ』は、CDで持っていたくなった。

 

ワルツ・フォー・デビイ+4

ワルツ・フォー・デビイ+4

 

 

 

バド・パウエル・イン・パリ(SHM-CD/紙ジャケットCD)

バド・パウエル・イン・パリ(SHM-CD/紙ジャケットCD)

 

 


Waltz for Debby - Bill Evans - Piano Solo - Cover

 

 

デコポンを買った曇りの日~みんなつながっているが人生は有限だということについて

『羨望』や『リオムパ』は想像されたものが、想像したものを破滅に追い込む小説であり、そこには外部の事物に対する恐怖を読み取ることができる。ここで挙げたような擬人化された事物にも、外部の事物を生きた他者とみなす感覚、外部の事物に対する恐怖を見ることができるだろう。 

 創造物の創造主に対する反逆という物語は、文学史において繰り返されてきたものだ。『羨望』に登場する機械「オフェーリア」は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』やチャペックの『R・U・R』を連想させる。

 

沈黙と夢―作家オレーシャとソヴィエト文学 (ロシア作家案内シリーズ)

沈黙と夢―作家オレーシャとソヴィエト文学 (ロシア作家案内シリーズ)

 

  まだ大学院生のころ、著者の名前は研究室で話題になっていて、それからすこしずっとあとになって本人を知ったのだけれど、もっぱら当時は会っても酒ばっかり飲んでて、こういう肝心なことをいろいろ聞かないままだった。

 ロボットや人造人間のことはずっとぼくの興味でもあったけれど、メアリー・シェリーやウェルズをちょっとかじったくらいじゃ、いかにも基礎が弱い。で、今の今まで来てしまった。

 この5,6年、少し頭を空っぽにしたい気持ちで、ほとんど英語ばかり読んできた。すると、ラッダイト(19世紀初めの英国の機械打ちこわし運動)などとこうしたテーマを結び付けたら面白いんじゃないか、ということでイギリス経済史の本なんかが数冊書架に並んでいる。

 「創造するもの:創造されるもの」の対比が「想像するもの:想像されるもの」というもう一つの対比と微妙にずれつつ文学史をつらぬく。で、小説というのは文学史上の事件であると同時に社会経済史的な出来事でもある、という、さる大先生のことばをここにつなぐと、この「創造」/「想像」のありようの変化が、科学や技術の発展と無関係であるはずがない。

 こうして、みんなつながっている。ロシアにおけるダーウィニズムの本は買って持っているが、書影が出ないな。それを読むべきかもしれない。あるいは、ルィセンコ論争のこと、本気で勉強し直すべきかもしれない。あるいは理系学者としてのクロポトキンのことなど。

 

ロシアの博物学者たち―ダーウィン進化論と相互扶助論

ロシアの博物学者たち―ダーウィン進化論と相互扶助論

 

 

 あるいは、〈反逆〉や〈反乱〉をもう一度考え直すために、スパルタクス、プガチョフ、トゥーサン=ルベルチュールなども。

 

 

 

Pugachev's Rebellion

Pugachev's Rebellion

 
Pugachev [並行輸入品]

Pugachev [並行輸入品]

 

 

The History of Pugachev

The History of Pugachev

 

 

The Black Jacobins: Toussaint L'ouverture and the San Domingo Revolution

The Black Jacobins: Toussaint L'ouverture and the San Domingo Revolution

 
Toussaint Louverture: A Black Jacobin in the Age of Revolutions (Revolutionary Lives)

Toussaint Louverture: A Black Jacobin in the Age of Revolutions (Revolutionary Lives)

 

  これも買ったまま読んでないのは我ながら本当に残念。

 

革命について (ちくま学芸文庫)

革命について (ちくま学芸文庫)

 
ハンナ・アーレント「革命について」入門講義

ハンナ・アーレント「革命について」入門講義

 

  で、お金もさることながら、時間がどうにもならない。7,8冊並行で本を読みつつ、じりじりと時間が過ぎてゆく。まともに読める外国語がたった二つしかない、博士号すらないままの自分。生は有限だということを、いやでも考える。

 老母とケンカ。ほんとうにつまらないことで。怒鳴って悪いことをしたので、デコポンを買ってきた。曇っていて寒く、数日前までの真夏の陽気はどこへやら。でも、五月はこういう天気なんだ。


郷ひろみ 洪水の前

 

 

 

 

 

ペガサスの朝~五十嵐浩晃は自分のことを「イガラシは…」と言っていた

 それにしても、ミリュコーフとトロツキー、この臨時政府の初代外相とソヴィエト政府の初代外相の二人が、ともに亡命地で、いずれも長大なロシア革命史を書いたという事実はまことに興味深い。両者はともに抜群に頭がよく、尊大で、どこか孤独であった。よく似たこの二人は、ともに自分の革命史でみずからを三人称で登場させた。[…]

 

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

 

  illeismというらしくて。自分のことを呼ぶのに三人称を多用すること。

 いまのアメリカ大統領が政策を発表するときにこれを使う。「わたしは…」と言わずに「ドナルド・トランプは…」とやる。スターリンもそうだったらしいんだけど詳しく知らない。

 日本語は主語が動詞のかたちを決定するという言語じゃないから、ちょっと分けて考える必要はあるのかもしれない。その上でなお例を挙げるとすれば、「ヤザワは…」(永ちゃん)とか「コイズミは…」(キョンキョン)とか、いろいろあろうよ。

 彼らほど知られてはいないだろうが、北海道出身の五十嵐浩晃は、80年代にデビューし、TVによく出ていたと思うけれども、やはり「イガラシは…」という言い方をしていて、いつだかNHKアナウンサーが感心していたのを思い出す。もちろん「伊代はまだ16だから」というのもあった。

 いろいろあって、なんかしんどい一日だったので、午後遅く、老母とソフトクリームを食べに行った。空を眺めていると、静かに暮らしたいという気持ちが募る。

 


「ペガサスの朝」 五十嵐 浩晃

 

 

革命は何人称か~マヤコフスキーと三島由紀夫

住民の大半を占める民衆は、教育水準が低かった。人口の八割ほどを占める農民のうちには字が読めない者も大勢いた。階層的な秩序をなすロシア社会で彼らは経済的に不利な立場にあるだけでなく、二級臣民のような立場にあった。そこから「われわれ」と「あいつら」という、民衆の世界観における二分法も生まれた。実際、彼らは工場では技師に、軍隊では将校に、村落では役人に、街中では旦那たちに軽んじられる日々を送っていた。非ロシア人の場合、ここに様々な民族的制約が加わった。[…]

 

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

 

  いやいやなになに、ここにこんな話が書いてあったかと驚く。やはりこれはと思う本は、繰り返し読む必要があるよ。

 でもって、民衆にとっては、現在ある秩序はコツコツ修正していくのではなく、「いつか、夢のような真実の瞬間に、一挙に転覆されるべきものであった」と著者は続ける。そうすれば自分たちの望む公正な社会が実現する。しかし、そのときは皇帝が倒れるだけではすまず、エリート層全体が押し流されるだろう。これが「自由主義者の悪夢」だった、と。なるほどね。

 この夢のような真実の瞬間、というところ。ここに一人称単数形の「わたし」が、いかにおのれを賭けうるか。少しあてずっぽう気味に書いておけば、マヤコフスキーの「わたしの革命」って、その目もくらむような逆転劇における当事者性の、きわめて文学的表出なんだろうね。マヤコフスキーなんか、さぼってぜんぜん読まないで来たんだけどさ。

 だとすれば、現物が出てこないので記憶に頼って書くのだけれど、三島由紀夫が1969年の5月、東大全共闘と対話した時、会場から「バカヤロー、関係なんて一番卑猥なんだよ」とヤジが飛んだのにたいして、全共闘Cが「関係立ったところからそれを逆転するのが革命じゃねえのか」と怒鳴り返した、あの場面ね。あそこでは全共闘Cの脳裏で、どのような革命の人称が想定されていたんだろうか。

 

美と共同体と東大闘争 (角川文庫)

美と共同体と東大闘争 (角川文庫)

 

 

 乱世に生まれて活躍したかった、とはぼくは思わない。学生運動でろくに授業のない時代に学生をやっていたら、ぼくの人生はもっともっと狭く、暗いものだったろう。きちんと語学の授業が受けられてよかった。

 で、上記の三島本を探して書架をさんざん引っかきまわしたんだけれど、それは出てこなかった。かわりに、今冬、いくら探しても見つからなかったスタインベック『パール』が出てきたので、それもいいなあ。

  …ああそうか、三島の市ヶ谷突入も、三島なりの「わたしの革命」だったのだろうか。

The Pearl (Penguin Great Books of the 20th Century)

The Pearl (Penguin Great Books of the 20th Century)

 

 


1969年、カナダのテレビ局による、三島由紀夫の貴重なインタビュー

 

白いハイウェイ~政治における一人称について非政治的に語ってみる

「彼らのなかに飛び込んで、はじめて気づいたのは、SEALDsは個人の集まりであるということだ。そこでは、沖縄出身の子も、東北から来た子も、在日の子も、『わたし』として法案に反対する理由を語っていた」

政治の世界では珍しい、「わたし」を主語とする、新しいことばを持った運動。その運動に惹かれてゆく、ひとりの人間の心の動きが正確に刻みこまれた文章が、そこにあった。 

 

  いやだからそれはよくわかるのだ。で、ならば、揚げ足を取るつもりはないのだけれど、なぜ「ぼくら」の民主主義なのかなあ。床屋政談より大きな政治談議はあんまり語りたくないが、ちょっと気になった。

 これは、ぼくもよく知らんのだが、マヤコフスキーロシア革命のことを「わたしの革命」と呼んだことに通じ、政治というより、たしかに文化の次元に属することなのかもなという気はする。いまどろなわ式に文献を探すと、『ユリイカ』の1983年1月号というすごいものが出てきて、水野忠夫先生のお書きになっているこんな一節が目に入る。

 考えてみますと、革命初期のこの時期は、革命と芸術とがほんの束の間であれ、手を結ぶことができた幸福な時期であったと思います。しかし、革命とは必ず逆流を生むものであり、革命をつねに革命し続けるのはきわめて困難なことです。これはまた、芸術家一人一人の問題でもあります。やがて革命は、「わたしの革命」であることを否定しはじめます。あるいは、芸術家にとっては「わたしの革命」であっても、革命のほうでは「わたし」を求めはしなかったということかもしれません。革命はやがて「われわれの革命」となり、「われわれ」という一人称複数が出てくることによって、「わたし」が消し去られてしまう。そうなりますと、「わたし」を否定して「われわれ」に転化することで、「われわれの革命」を続けるかどうかが問われるようになり、「わたしの革命」としてロシア革命を受けとめてきた芸術家は、「わたし」と「革命」とのあいだの落差を自覚しながら、[…]

 といことで、ほらね、芸術の話でしょ。

 で、ぼくはこれもよく知らんのだが、ぼくの会社員時代二度目の学生時代くらいに渡辺美里の「マイ・レボリューション」が流行って、ただしぼくはその曲よりも、何とかいうタイトルの別の曲のほうがリズムの冒険があって好きだったりしたのだった。

 このへんのことは、ぼくも古い人間だから、二十年前くらいでとまってる。モスクワに行ったとき、同じ語学研修を受けていたKさんというかたと話をしていて、ぼくが古本を買いあさっていることを知って、マヤコフスキーの選集を古本屋で見つけて、「売れてしまわないうちに」とわざわざかついで寮に帰ってきてくれたことがあった。ちゃんとお代を払ってありがたく引き取らせてもらった。あれは本当にいい思い出。寮のそばに古本の屋台が出ていて、ろくに読めもしないベールィを買ったのも、透きとおるようにきれいな夏の思い出だ。帰国が近くなった日曜日、地下鉄の駅を出たところで夕立が降ってきて、足止めを食らったのも、鮮明に覚えている。モスクワは激変したことだろうね。

 あれから長い時間が経ったのに、それを読む余裕がちっとも捻出できなかったことは、やっぱり痛恨事だったりということはある。ぼくはまだほんのひよっこで、これから読むのだ。


ヒカシュー 白いハイウェイ PV