俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ザ・シンガー

「どこまで喋ったのだったかな……」千葉潔が壁に背をもたせ、焼酎の入ったコップを口に寄せた。

「先輩は、しかしどうしてそう農民のことや宗教のことを気にかけるんですか。この前話してくれたギオルギイ・ドージャに指導されたハンガリーの農民一揆や、幕末の百姓一揆のことも面白かった。先輩の話はいつ聞いても面白いけれども 、しかし何かこう、僕たちの関心とはちょっとかけ離れているような気がするな」

 今年ボート部に加わったばかりの、落合武彦が言った。彼はボートでの役割は舵手[コックス]だった。

「そりゃ、みんなが共通してほかに興味のあることがあるんなら、話題は変えてもいいんだが、……で、君は例えば、どんな話に興味がある?」

「困るなあ、そう言われると。だけど、ダンテとベアトリーチェのこととか、ゲーテとフリデリーケの愛情の問題とか……」

「うおう」と意味もなく一同がうなり声をあげた。

「いや、その問題でもいいよ。ただ、ドイツ語の教授だけじゃなく、倫理学の教授も文学の教授も、一高の校長も三高の校長も、口を開けば、ゲーテゲーテと言うのには、ゲーテの偉大さとは別な、ある理由がある[…]

 

邪宗門 上 (新潮文庫 草)

邪宗門 上 (新潮文庫 草)

 

 

 

邪宗門 上 (河出文庫)

邪宗門 上 (河出文庫)

 

  思い出した、これだ。

 「サカエちゃんは東京にゴカイとゲンソーがあるのよ」とともだちに注意を受けていたのは岡崎京子『東京ガールズ・ブラボー』の、札幌から上京した女子高生の主人公だった。で、ぼくはぎゃくに内地から北海道に帰って、大学院に入って、負けてなるかと連日怪気炎を上げていた時期、「っちょ、っちょっと待って、どうも君はこの大学にゴガイとゲンソーがあるようだが…」と言われたことがある。稚内の学会のあと、東京のどなたかと話していたときも、「どうもあなたは東京の大学にゴカイがあるようだが…」という話になった。

 で、そのゴカイとゲンソーのもとは何か、と辿っていくと、ここに突き当たる。これは実在の宗教団体にモデルをとった架空の宗教団体の興亡の話だが、そのことはおいておく。場所は京都あたり、戦前の話だ。教団で育てられた主人公の千葉潔はある事件で少年感化院送りとなり、そこを脱走、鋳物工場の工員などをしながら独学し、検定試験を受け合格、旧制の第三高等学校へ進むのだ(感化院を脱走した少年がノーチェックでそんな道に進めるのか、少し不思議ではあったが)。

 で、その風変わりな年長の先輩が、ボート部の部室で、部員らに異端宗教の歴史について話をするシーン。思想統制の厳しくなった時代にあって、ボート部の部室というのが意外に自由な討論の場だった、しかも自由な校風の京都三高という設定で、鮮烈だった。豊かな家庭の出身の学生も、経験のかけ離れたこの年長者に敬意を示す、なんてところもある。

 これを読んだのは、一回大学を出たあとだというのはおぼえている。そして、どうもここに描かれているような、自由でのびのびした学生生活というものに、もう取り返しはつかないのか…と羨望をおぼえた。あとはいつも書いている通りだから書かないが、そうだ、これだ。

 たまたま先日、京都大学へ行ったけれど、今の京都大学がそういう自由闊達なところであるのかどうかは知らない。高橋和巳自身が第三高等学校や京大のことを過度に理念化しすぎていないという保証もない。まして、全国のふつうの大学でそんな校風のところがそうそうあるわけでもない。

 だからぼくは、これを後生大事に真に受けているといろいろ現実とずれが生じて…ということを、延々と繰り返してきたわけだ。

 この文庫本は、ガレージの奥の段ボール箱の中で眠っていたのを、数年前に出しておいた。思い出したのは、たしかこれと比較すると面白いだろうと思って、バルガス=リョサの英訳本も買って持っている。こんな分厚い英書を読む余裕がいつかできるという目算もなかったけれど、本は買って持っている。あせらず。

 

The War of the End of the World

The War of the End of the World

 

 


Hector Lavoe EL CANTANTE