俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ジレンマ

 ドイツのアンドレ―エとイギリスを結ぶ重要人物は、チェコの学者ヤン・コメニウスである。彼はモラヴィア兄弟団の牧師であったが、チェコから追放され、放浪生活を送った。アンドレ―エを尊敬するとともに、薔薇十字の思想にひかれた。コメニウスはイギリスに渡り、そこで世界を改革する教育のための世界学院を構想した。それは、〈見えない学院[コレッジ]〉として出発し、やがて一六六〇年の〈ロイヤル・ソサエティ(王立協会)〉の創立をもたらすのである。薔薇十字は、ロイヤル・ソサエティの起源ともなっている。

 このように、薔薇十字は、フリーメイソンからロイヤル・ソサエティまでに影響を与え、近代の科学革命に大きな役割を果たした。フランセス・イエイツは、そのような開かれた意味の中で薔薇十字を再評価した。

 一方、狭い意味での薔薇十字は、奇跡と錬金術の魔法として語られる。小さなグループの薔薇十字団が次々と作られる。たとえばぺトルス・モルミウスは、一六三〇年、黄金薔薇十字団の一人に会ったと述べている。〈黄金〉という字がつけられたことは、錬金術が中心であることを物語っている。

 

 

秘密結社の世界史 (平凡社新書)

秘密結社の世界史 (平凡社新書)

 

  錬金術は面白そうで、英文科の授業をたくさん取っていた時に聴いたパラケルススの話など、とても興味があったが、ヨーロッパ的広がりの中でそれをとらえようとしたら、英語がちょっとできるくらいじゃぜんぜん足りないだろう。

 英語が読めるということは、往々にして、欧米の学者が諸言語を駆使して調べ、まとめた成果を、自分の独創と取り違えるというカン違いにつながる危険性をはらんでいる。英語の研究書を読むのはそれはそれで大事なことだが、なまじ英文の学術書の機微がわかるということに酔ってしまって、自分の研究成果と同一視したくなる危険性は、これは決して小さくない。

 この本の巻末の「主要参考文献」には一四,五冊。英語文献が挙げられているので、そうとうそれらの文献を使っているだろう。が、ドイツ語やフランス語の文献は挙がっていないから、やはり英語圏の学者が独仏語の知識を使って書き上げた成果をお借りしているという側面はあるだろう。

 こうして、研究対象の次数の問題がここでも浮かび上がる。ここに書かれていることは、どれも興味深いことだが、各国語の原資料→研究論文→英語圏でのその咀嚼…と、何次かの次数の繰り下がりを経て日本語化された情報だということは、どこかで意識しておく必要がある。たとえばドイツ語の文献を英米人が咀嚼して英語化するとき、思いがけない歪曲や省略などが起こっていることがあることは前にも書いたような気がする。

 という自分だってドイツ語はろくに読めやしないので、何かといえば英語の本に頼るのだ。ただ、そうして英語の文献を読んでると、ああ、この著者もたいして自分では知っちゃいないことを書いてるな、と気づく瞬間がある。そういうとき、ドイツ語やフランス語から日本語に訳された専門書がいかにありがたいか、といったことを感ずる。この著者も、白水社文庫クセジュを大いに使っている。


中村由真 MV1 「ジレンマ」