俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

竹田の子守歌

われわれは遠慮もなくとうに亡くなった人々の手紙を読んでいる。そうやってわれわれはよその家族へと入り込み、彼らの事跡と人柄を知ったのである。それがどうしたというのか? 知って、好きになってしまうということのうちには、悪いことはない。そして我々が彼らに出会ったのはありとあらゆる悲痛さの日々においてである。いろいろの不安に心引き裂かれる母親、消えつつある花の咲く暮らし、住む場所を追われた家族全体。まさにここで、心から人の身になって考えるということが生まれやすくなる。われわれはその人々とともに歴史という広い舞台へと出てゆくのであり、個人として彼らの身になって考えることは、われわれをいわば歴史的出来事の同時代人にするのである。なぜならわれわれがその人らに出会う際の彼らの家庭のやっかいごとは、あまりにじかに時代の歴史、つまりナポレオン襲来と結びついているので、 個人の暮らしのなかへの全般的ちからの干渉が、ここではとりわけはっきりしているのである。小説家は、歴史小説を書こうと思うと、あれやこれやの形で歴史的事件の急展開に巻き込まれる何人かの平凡な人々の人生をストーリーとして選び出す。彼らの気分や運命のなかに、小説家はイメージの形で、巻き起こった竜巻がどう作用したか、つまりその組成、方向、強さを描いてみせる[…]

 

Griboedovskaya Moskva

Griboedovskaya Moskva

 

 

 

Moscow of Griboyedov

Moscow of Griboyedov

 

  京都行き、もう少し書いておく。

 いろいろヒヤリとすることはあるにはあった。一日滞在を延ばして観光、というのは自分は予定していなかったので、研究会の次の日は、もう関西空港にいて、保安検査も早々に済ませて、モームをむさぼり読んでいた。搭乗口は保安検査場から一番遠いところだ。まだ誰もいない、がらんとした待合室。ふとポケットを探ると、iPodTouchがない。他のガジェットはなくすといけないのでリュックのなかだが、これは「はるか」のなかで聴きながら来たので、ポケットの中になければおかしい。さあ大変だ。

 しかし、冷静に考えれば、その少し前に、トイレへ入った。そこに違いない。すぐに行ってみると、ちゃんとあった。まだ出発まで時間があるがらんとしたエリアだから、人に見つからずに済んだ。悪意のある人に見つかればもちろん取られてしまうし、そうでない人に見つかった場合も、どこかに届けられて、手もとに帰ってくることはまずありえない。危ないところだった。

 お盆休みは今日からなんだろうけれど、先週にも夏の休暇中らしい旅行者はたくさん見かけた。出発の空港では、北海道観光を済ませたらしい若夫婦が「ビール買おうよ」「うに丼も食べたし、ビールを飲みながら飛行機なんて最高ね」といった会話をしていて、楽しそうというか、幸福そうだったなあ。いいなあ。

 帰ってきて、研究会からはもう一週間経とうとしている。何でこうなったのかよくわからないのだが、ゲルシェンゾーンとジャック・ロンドンモーム海野弘氏の本を並行して読みつつある。勤めていたころのことはもうだいぶ忘れたが、8月11日というと、あの頃なら藪入りでほっとしていた時期か。


赤い鳥 竹田の子守唄(ライヴ)