京おんな
アカデミーは十五世紀から十六世紀にかけて、イタリアの学者たちの間で大流行した。やがてそこから大学が発達してゆくのである。N・ペヴスナーの『美術アカデミーの歴史』[…]によれば、学会だけでなく、「半ば秘密的な占星学会」もアカデミーと称したという。
つまり、アカデミーには、秘密結社も含まれていたわけである。このことは、大学とかアカデミーが秘密結社に無縁ではないことを示している。それらは知識の独占的な組織であり、知の独占は権力に関わるから、ある秘密性を帯びる。そして入るには入社式が必要なのである。
京都行きの件、もう少し。
大学に関しては「自由な学風」という言葉は最高の賛辞だと思うし、自由な学風が特徴であることを自他ともに認める大学というのは、思いつくだけでもいくつかあるように思う。
むろん、排他的な学風を誇示する大学などどこにもあるはずはないが、いっぽうでは、大学というところは、どんなにオープンであることを目指しても、最終的なところでやっぱり他に閉ざされた場所であることを免れることはできない気もする。
程度の差はあれ、何らかの不文律を持たない組織というもの自体存在しないと思うが、たまたまぼくが十年以上勤めたところでは、生え抜きの教員だけが暗黙のルールに基づいて組織の運営に参画しているのではないか、と考えられる節も多々あって、それが大きな孤立感のもとになったりした。で、しょせんあれは秘密結社の一種なのだから、と指摘されると、なるほどと腑に落ちる。
今回、たった半日滞在しただけの京都大学がどんなところかは、もちろんぼくは知りようがない。学生と教員の間の風通しなどは、きっとずいぶんいいところだろう。研究会にも、ロシア語での会で通訳もつかないにもかかわらず、三十名くらいの参加者があった。ただ、京都に住んでいたとて、一般の人が立ち入る機会がそうそうある場所とも思えない。
京都に限らない。札幌でも、北大の構内を散策している市民や観光客は多いが、それをもってオープンな大学とは言わないだろう。大学院に入る前の八月、内地へ帰る途中、札幌で降りて見学させてもらった時の北大は、やはり閉ざされた城塞のように見えた。あのときは、北大通りの古本屋で、フォルマリズムの本を買ったのだった。
今日はこれくらいにしておこう。