俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

鴨川

私はときおり、どこぞの娘がどこぞの若者と出会った、そんなある日のことを思う。その日がいつの季節のことだったかも、それが起こったのがどこの土地でのことなのかも、私は知らない。娘のことも、若者のことも、見た目にどんな人たちなのかもわからない。にもかかわらず、ふたりが私のこの空想上に生じた日にたがいに会うために出かけたことから、この世に私が現れるということが生じた。

もしその出会いがなかったとしたら? それでもやっぱり私はべつの人々のペアから生じていたに違いないだろうか? ほかならぬ、この私が? 

 

 

Ni dnia bez strochki (in Russian)

Ni dnia bez strochki (in Russian)

 

  京都行きのことをもう少し。

 じつは、かなりプレッシャーは強かった。ロシア語での報告というのは、去年、たった一回やったことがあるきりだ。いや、遠い昔、大学院の演習で、ロシアから来たえらい先生の指導のもとやったこともある、それを入れてもたった二回きりだ。で、知らず知らず免疫が低下していたのだと思う。京都に着いてホテルに入り、コンビニで買った遅い夕食を食べていると、唇のところがはれぼったくて、鏡を見ると口唇ヘルペスが出ていた。

 次の日の研究会は午後からだ。午前のうちに、薬局で口唇ヘルペスの薬を買うか、耳鼻咽喉科にかかるかと考えた。しかし、次の日になっても、痛さはさほど感じないし、黙っていれば目立つというほどでもない。そこで、薬局も耳鼻咽喉科も行かないことにした。帰ってきて一休みすれば自然に治るだろうとも感じられたし、薬ならまだうちに使いさしがあるはずだ。

 研究会当日は、午前に観光だとか、とてもそんな余裕もない。そこで、12時に開場の演習室を開けてもらう予定のところ、早く着いて、10時半くらいから廊下にいた。学生用の掲示板など見て、こんなサークル活動があるのか、と感心し、別に退屈もしなかった。

 本番は、スカイプがつながらなかったり、つながっても画面をプロジェクターに映せなかったりいろいろあったが、終わると、案の定、のしかかっていた重圧が取れて、急に気が楽になって、懇親会にもついて行った。私鉄の何とかいう駅までみんなで歩いたのだけれど、ザーッと夕立が来て、いっしょに歩いておられた大先生が「今日、雨なんか降る予報でしたっけ」と困惑しておられたので、前を歩いている人に声をかけて、傘に入れてもらった。そういえば去年も学会の支部会のあと、同じようなことがあった。ぼくのリュックは頑丈なイタリア製だから、あのくらいの雨では中のパソコンまで濡れたりはしない。

 それにしてもやはりふだんへき地にいるから、京都は大都会だ。「京都は都会と思っちゃいけません」とおっしゃる先生がかつておられたが、けっしてそんなことはないだろう。懇親会も、ずっとみなと話をしていたいような会で、ほんとうに今回は行ってよかった。

 で、帰宅した日曜日の夕食のまた楽しかったこと。口唇ヘルペスは別に薬も塗らないが、治りつつある。


馬場俊英  鴨川