俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

亜米利加の朝御飯~あのときエスペラント勉強会をやらなかったのは僥倖か

 1962年、まだ外国旅行が珍しい頃に、小林はヨーロッパの8か国を1か月半 エスペラントだけを使って歩きました。1974年にはポーランドチェコスロヴァキアハンガリーなど東欧を、その後はスイス、英国、オーストリア、スペイン、フランスを旅行し、いつもエスペラントが役に立ちましたが、ことに東欧では助かりました。もし、エスペラントを知らなければ切符1枚買えなかったに違いありません。ドイツのミュンヘンではホテルが取れなくて、駅前で途方に暮れて呆然と立っていたところを、エスペラントのバッジを見て声をかけてくれた女子大生のエスペランティストが、自分が学んでいる女子大の寄宿舎へ連れていってくれました。夏休みの間は寄宿舎を臨時のホテルとして開放するしきたりらしく、1泊数百円で泊めてくれたのです。

 

4時間で覚える地球語エスペラント CD付

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  前にも書いたが、エスペラントの勉強会をしようと誘ってくれた女子学生がいたけれど、そのときは実現しなかった。それはぼくが忙しすぎたせいということなのだけれど、突き詰めれば、エスペラントのような人工語にはちゃんとした文学なんかあるのか、という偏見がぼくのなかになかったとはとうてい言えない。

 その後、ロシア・東欧文学者のなかにもエスペランティストが少数ながら一定数いるらしいのを知って、なんとなくあの時機会を逃したのが残念なような、変な気分だった。

 あのとき、女子学生の色香への下心に迷ってよけいな語学を背負い込まなかったから何とかロシア語はものになったのだ。そのために、ドイツ語を捨てることまでしたのだ。しかし、背負い込んだら背負い込んだで、面白い人生だったのではないか。

 きっと、たましいがきつい職務などで拘束されていない状態なら、わりと短期間で基礎をマスターできそうな気はする。で、現にここにもまっさらなノートがあるので、このあと猛然と例文暗記ノートを作る…ということも不可能ではないが、この間からまたロシア語作文ノートをやっていて、他の語学が入り込む隙はちょっとないだろう。

 ぼくは外国語大学というところへは在籍したことがないけれど、ああいう大学では、エスペラントは、奨励されているのだろうか。それとも、そんなものをやる暇があったら、専攻語をもっときちんとやれ、と教えられているのだろうか。

 ぼく自身は、英語もできないのに〇〇語なんて…といって多言語学習熱に水を差す風潮には反対だけれど、一つ一つの言語を極めるには人生の時間はあまりに限られているので、禁欲もまた大事だ、という風に考えが変わってきつつあるのは確かだ。昨年の10月から語学徒の冬学期などと言って勉強した期間も、具体的にやることは英語とロシア語のおさらいであって、未知の外国語への挑戦はしなかった。

 未知の外国語は、パラパラ見ていると、どれも面白そうだ。かといって、それに時間を投入できるかどうかは、もう若くない身としては、慎重に考えたい。好奇心が満足する程度にやるのは、精神衛生上、悪くはないと思う。


"Breakfast in America" Written & Composed by Roger Hodgson, formerly of Supertramp