愛のきずな
歴史に「もしも」はないとされるが、もしも、ニコライ二世が絶対専制に固執せず、漸進的な緩やかな改革を受け入れていたとしたら、ロシアの歴史は別のものになっていたに違いない。また、彼が血友病の遺伝子を宿した神秘主義者のドイツ人の皇女を見初めることがなかったとしたら、さらに、ラスプーチンを宮廷に入れなかったとしたら、ロシアの歴史はまったく別のものになっていたに違いない。
それらの「もしも」が全て有り得たとしたら、第一次世界大戦も、ボリシェビキ革命勢力の大波もロマノフ王朝をこれほど劇的な形で滅ぼすことはなかったに違いない。いずれにせよ王朝は崩壊していたかもしれないが、その後に七十余年もの共産主義ソビエトの全体主義社会をもたらすことなく、穏健な立憲君主制度か議会制民主主義の下でロシア民族はずっと健全な歴史を歩んでいただろう。
言うまでもないことだが、歴史にそんなに多くの「もしも」を想定するのは馬鹿げたことだった。それらの「もしも」はいずれもニコライ二世の意思と決断にかかわる人間的要素だった。[…]
もう寝る時間だね。今日は留守番、洗たく、散歩、今度の出張の下準備など。やることは多いが、焦ってもだめだ。ひとつひとついこう。
ぼくは本当は、本を読むなんてことは、他の研究者に比べて得意でもなければ好きでもないのかもな…という気分がよぎるときは、どうすればいいのかな。少し休んで、また始めるしかないな。
わかりやすいいい本は、繰り返し読むに値する。これも、何度も読み返そう。新しい本が次々に出るけれど、予算超過で身動き取れず、そんな時は手元の本を繰り返し読んで、がまんするしかないな。
以下の本はぜひ読みたいが、今月はもう無理だ。
以下の本を読んで、がまんしよう。というかこれすらこなしきれていない。大学院生になって初めて知ったに等しいロシア19世紀末の「銀の時代」。みんな読んでたんだろうな。