二人でお酒を~英語ができるできないは人間のできとはあんまり関係がない、しかし
佐高 […] また話が飛ぶようで恐縮ですけれど、私の故郷は酒田市ですが、それと隣接する鶴岡を故郷に持つ石原莞爾[…]に決着をつけるために、『石原莞爾 その虚飾』[…]という本を書きました。そのなかで触れたのですが、石原は満州国にエスペラント語を採用しようとしていたんです。そこには英語への強い反発があった。英語ができる、できないで人間をはかるなんてとんでもないと、石原は書き残しています。エスペラント語を共通語にして、満州に五族協和の右翼的ユートピアをつくろうという構想は、大日本帝国の命運とともに消え去り、現地の人に日本語を押しつけた負の歴史が残りました。
大メディアの報道では絶対にわからない どアホノミクスの正体 (講談社+α新書)
- 作者: 佐高信,浜矩子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/12/21
- メディア: 新書
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この種の本をどっさり借りてきては外国語中毒の緩和のために読む、するとこんなことが書いてあって、拾っておく。
エスペラントについては冬に書いたけれど、時間があればやりたかったし、今でもどこかでやってみたい気持ちがあるのはやまやまだ。
英語ができるできないで人間をはかるなんてとんでもない、というのはまったく賛成だ。ぼく自身はそういう基準でむしろ利得を得た側に、どっちかっちゃあ入るのかもしれないが、それとは別に、英語ができるできないで多くの子供や親がヒステリックな心理に追い込まれているのは、心が痛む。
小学校から英語が必修化、大学入試の英語は民間テストで代用、と、いろんなニュースを聞くたびに、地方や貧困家庭の子が早々に人生の敗北を決定づけられるような方向に転がって行かないでくれと、切に願わずにはいられない。
そして、ここのところが難しいのだが、現に英語ができるようになりたいと切望する子や親に、「英語ができるできないは人間の価値に関係ないですよ」とは言えない。エスペラントが共通語となる国際社会の実現は、いまのところあまりありそうになく、英語が事実上のエスペラントと化している状況は、急には変わらないだろう。
英検もTOEICも、学校で習う英語、あるいはこれはという入門書で説かれている基本を前向きな気持ちできちんと身につけ、あとはあらゆる機会をとらえて伸ばす努力をすれば、かなりの線まで独学で行ける。高価な語学学校に通えるかそうでないかは大きな要因だろうが、けっして通えないからどうせ自分はだめだ、という方向で考えないでほしい。
いい参考書はネット通販ですぐに入手できるし、読む/聴く素材だってあり余るほどあふれている。ラジオだっていい番組をやってる。あとは、自由時間を主体的にそっちに振り向ける決意があるかどうかがカギだ。いくらいい教師でも、そこまでのコントロールはできないから、これは本人の問題だ。いくらでも独学の道はある。