負債としての読書
「いや」ぼくは声に出して言った。今は『劇場物語』を読もう。誰がなんと言おうと、世の中で『劇場物語』が最高だ……
ぼくは本棚からブルガーコフの一巻ものを取り出すと、指でやさしくもてあそび、てのひらでスベスベした背表紙を撫であげた。もう何回目になるだろう、本を生身の人間みたいに扱うべきではない、いけないことだと自分に言い聞かせたのは。
- 作者: アルカージイストルガツキイ,ボリスストルガツキイ,АркадийСтругацкий,БорисСтругацкий,中沢敦夫
- 出版社/メーカー: 群像社
- 発売日: 1993/07
- メディア: 単行本
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二九年まえの夏、塾バイトのあんちゃんに過ぎなかったぼくは、けっして文学青年と言えるほどの小説読みではなかった。どちらかといえば社会科学と評論の中間のような本を読むことが多かったので、深夜まで開いている古本店で買ったのは清水幾太郎だったりしたのだった。
それと同時に、その古書店ではどういうわけかソシュールの翻訳で名高い小林英夫の戦後すぐの本が買えたりしたのだ。これは大きかった。理論的な考察の大半はすでに効力を失っていたかもしれなかったが、小林が語学遍歴を書いたエッセイなどは強烈に心に刻みつけられた。
どうやら、名のある学者はみな、語学の達人なのだということがわかってくる。そこからの再出発だったのだ自分の場合。だから文学青年たちが普通に、ときに原書で読んでいるものを若い時に読んでいないことが、その後、ずっと負い目になった。
外国語の文学書は、1日や2日では読めない。数日から二週間の集中がどうしても必要だ。才能に恵まれた人は二十歳前後でそのコツを会得できるが、ぼくの場合は人よりは十年は遅れている。
で、もう過ぎたことはいいので、これからのことを考えよう。具体的には、この夏のこと。読まなくてはならない本がどっさりあるので、少しずつ片付けよう。イリフとペトロフの英訳も読みかけのままだし、ジャック・ロンドンというのも宿題のままになっていて。新知見を得るというより、自分の場合外国語の読書は決まっていつもコツコツ負債を返していく感じだ。1日や2日で読もうとせず、毎日のペースを確立すること。それしかない。
以下の動画は面白い。My name isは「拙者~でござる」という意味で誰も使わない、などという「英会話」の世界の都市伝説を実証的に否定して見せる。My name is~はふつうに英米のTVやラジオを聴いていれば、ひんぱんに耳にする。