俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

B Flat Blues

ウィントは次のように書いている。「モレッリの著作は、芸術についての当時の他の出版物とはまったく異った外観を示していた。その本のあいだには、指とか、耳とかの挿絵が撒き散らされていたからである。それらは、個性的特徴を示す注意深い記録であって、ちょうど犯罪者が指紋によって割り出されるように、それらによって芸術家は自己を露呈してしまうのである。モレッリが研究対象とした美術館は、いずれもその研究によって最初はまるで贋作者用陳列場のような観を呈したのである」。この比喩を美術史家のエンリコ・カステルヌーヴォはみごとに発展させ、モレッリの推定方法を、ほぼ同時期にアーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズに割りあてた方法になぞらえている。[…]

 

神話・寓意・徴候

神話・寓意・徴候

 

  N野充義先生の本を読んでいると、ラジオでロシア語放送を聴く方法が紹介され、ラジオの作り方が回路図付きでくわしく載っている。あれ、N野先生が電子工作? こんな本だっけ? と思っていると目が覚めた。

 相変わらず変な夢ばかり見るが、それを日記の片隅にちょこちょこメモしておくと、あとで読み返して、何とも不思議な気分になって面白い。

 モレッリという美術学者のことはよく知らないのだけれど、その方法をフロイト精神分析シャーロック・ホームズの推理法と等置する議論が面白くて、この夏はちゃんと読もうこれ。ホームズ物も、読んでないのがkindleに入ってる。フロイトも入ってる。

 19世紀末の文学なり思想はとっくに無効、という考え方もあろうけれど、現代思想の源流としてニーチェフロイトマルクスらのドイツ語圏のひげ面の変人たちの名をあげる文献は今でもよくある。遅ればせながらそういう勉強をしたい気がするけれど、そのために大学に籍を置く必要は必ずしもない。大学にはたまに訪ねていくだけにして、あとは自分で本を読んでいけばいい。

 昨日、さる方からTEL。いま大学に職を求めることはしているのか聞かれ、その道はもう考えていませんよ、といった話。ほんと、もうそっちはいい。

 日の長さを基準にすれば、いまがミッドサマー。こないだまで冬だった気がするけれど、早いものだ。夏至も近い。


Bud Powell - B-Flat Blues