俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Coat of Many Colors~ビニジャンのあいつはどうしているのだろうか


Dolly Parton: "Coat of Many Colors" - The Voice 2015

 高校のころ、いわゆる汽車通だった。

 帰りの汽車に一時期、同年輩だけれど高校生じゃないあんちゃんが乗ってきて、途中駅で降りていたことあった。たぶん、中学を出てすぐどこかで働いていた人だろう。不良風にも見えず、おとなしそうなやつ。ファッションも、流行を気にするふうじゃない。寒いせいもあるけど、流行に関係のないへんな帽子をかぶっていた。彼が汽車を降りた後、その彼のことを同級生たちが話していた。いつも同じジャンパーを着ているけれど、それが当時流行していた革ジャンではなく、ビニール製らしい、ということで、誰かが「ビニジャンだな」と言った。

 その彼はいつの間にか見なくなった。話をしたことはないけれど、いつだか久しぶりに乗り合わせてぼくらの集団を見て、「おっ」と、知り合いに会ったように顔をほころばせたことがあって、なんとなく忘れられない。

 で、「ビニジャン」という言葉。そこから派生して、仲間のひとりが来ているジャンパーは「猫の皮じゃないかこれ」「あはは、猫ジャンだ猫ジャンだ」ということになってしまった。子供だから、加減を知らず、心ないことを言うのである。

 「ビニジャン」も「猫ジャン」も、子どもの間での流行を知らないお母さんが、「子供が喜ぶだっろう」と思って買って来たものだろう。そのことを今になって思う。そして、ドリー・パートンが”Coat of Many Colors"という、泣ける歌を歌っていたことを思い出す。子供時代、人がおいて行ったいろいろな色の端切れを縫い合わせて母親が作ってくれたコート。それを着て、お金はないけれど豊かだった、そんな曲。今日、老母にこの歌の話をしたら、もらい泣きしそうにしていた。