俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Root Down~ともだちの助手席で


jimmy smith root down

 ピーター・バラカン氏の『ウィークエンド・サンシャイン』で、これ。

 リクエストした人の話もよかったなあ。いろいろあって血迷って、大切にしている貴重なCDを大量に中古CD店の買取査定に出したところ、査定に五日かかると言われ、その五日後、あり得ない低価格を提示される。売るのをあきらめ、査定に預けた大事なCDを友人の車に乗って引き取りに行き、その帰りの車中、友人がカーステレオでジミー・スミスのこれを流す。涙が流れて仕方ない…そんな話。

 ぼくもCDは、基本売らない。かつてもう音楽はいいや…と持っていたCDをほとんど売った話をここに書いたことがあるような気がするけれど、けっきょくその後、それを買い直しつつ今に至っている。ミーターズとかドクター・ジョンとか、ビル・エバンズとかモンクとか、村八分とかジャックスとか、弘田三枝子とか平山美紀とか、ほんと、売るのをがまんして持っていればよかった。

 「断捨離」という考え方の背景にはそれなりの成立事情があろうけれど、資料の蓄積過程そのものが人生を形成しているような人には、安易にそれを勧めない方がいいと思う。

 上のエピソードも、ぼくが理解した限りで上に再現したけれど、その友人というのが、何ともいい。別にこの場合のジミー・スミスに深い意味はないのかもしれないし、悲嘆に暮れている友人一般にオルガン・ジャズが効くという普遍的かつ大ざっぱな話でもない。ただ、このひとの場合、それがよかったのだ。ぼくはもう友達だ友情だという歳じゃないが、朝から何となく、心にしみた。

 

Root Down

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