俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ろくでなし

Nagasaki is something of an outlier in Japanese history. While the country closed itself off from external influence between the 1630s and 1853, this Western port remained partially exmpt, a crack through which people, ideas and products could pass. Today, the city retains its cosmopolitan attitude and atmosphere.('Japan Times On Sunday' June 4)

 で、結婚の話の続きなのだけれど、結婚しても人間の根本的さみしさは癒えるとは限らないみたいな話を聞くと、へえそうなんだと思うけれど、人の気配ってあるじゃないですか、家のなかに。それだけでも救いじゃないのか。

 特に話をするとかじゃなくても、人の気配があるだけで、ずいぶん違うんじゃないか。未明に目覚めて机に向かっていても、ぼくの場合、老母がすやすや寝息を立てているからあんまり寂しくないということが確かにある。

 まあ、親子と夫婦じゃ違うんだろうし、ペットがいるだけで寂しくない人もおられよう。でも、今日聞いた話では、数年前亡くなった誰それさんは奥さんに先立たれ、さびしいさびしいと言って一日何度も隣家に遊びに行っていたという。やっぱ、そうじゃんと思ったが、違うのか。

 まあ、若い時からそんな茶飲み友達的感覚ではないというのはそうなんだろう。あと、定年になった夫がうちにいてべたべたするとうっとうしい、というのはよく聞く話だ。ましてぼくなんかがうちのなかにいて浪曲やジャズのアナログ盤を鳴らして日がな一日だぼらを吹いていたら、たいていの女性にとってはたぶん趣味も合わないし、うざいだろう。

 ずいぶん昔、札幌にいたころ、駅南側の西武に「渋沢龍彦展」を観に行ったことがある。書棚を写真で再現してあったり、若いころの写真が飾られていたり、とても面白かったが、観に来ているのがいかにも文科系女子なのが強く印象に残っている。

 その女性らが口々に「こんな個性的な人とお知り合いになりたい」と言っているのを聞いて、内心、「ここにいるじゃないか!」と叫んでいたのだが、まあ昔の話だ。個性があればあるで、社会に受け入れてもらえないということもあり、また個性と人間的魅力というのも似て非なるものだったり。個性と呼ばれるものが、たんに魅力に欠けた人間の一人よがりに過ぎないというケースも多い。

 で、ブルーハーツが「個性があればあるで、抑えつけるくせに」と歌っていたのだけれど、以下はブルハではなく、シャンソンの「ろくでなし」のカバー。


小島麻由美×ダージリン=「ろくでなし」 (越路吹雪)/共鳴野郎