俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

シンデレラ・ハネムーン~書庫から持ってきた『トロツキーの神話学』

  しかし、革命が停滞し、人々が生に対する柔軟な姿勢を失い弾力性を欠いた秩序の世界にへばりつこうとする場合、祝祭的世界は理解不可能なものとなる。本来祝祭の代名詞であるはずの創造的芸術が、「革命」に対立するものとして告発されるのはこのような時である。秩序の内側の住人は、ひたすらに、遠くに行きすぎた越境者に密かな憎悪の目を向ける。その時、告発屋的政治屋は、大衆の活力の陰惨な利用に専念する。政治の世界において、憎悪の活力を曳き出させるための神話的原像として「トロツキー」が造り上げられたごとく、芸術の世界における「はたもの」の原像としての「トロツキー」が作り出されなければならなかった。

 

トロツキーの神話学

トロツキーの神話学

 

  『トロツキーの神話学』、4年前くらいに買ったんだっけ。読まないまま書庫に眠っていたのを引っ張り出してきて、上の一節を確認。図式として鮮やかすぎるところが難点と言えば難点、とか、言う人なら言うかもしれない。

 何でもいいが、結婚の話の続き。

 結婚て、ほんと、一度もしたことがないのでわからない。女子の院生が結婚した時、お祝いのつもりで「ぼくがだんななら仕事を辞めて、一日じゅうおうちでおしゃべりする」と言ったら、「食べていけませんよ」と本当に叱られたのだが、これはぼくの脳裏に『ドラえもん』の一シーンが残っていたせいで、あんなことを言ったのだろう。すなわち、ドラえもんが特殊な装置を使って未来を予測すると、成人したのび太くんは朝も昼も夜も家の中でしずかちゃんとおしゃべりしている。のび太くん、いつ働くの?とドラえもんに叱られる、というシーンが確かどこかにあったはず。

 あるいは星新一が結婚まもないころ、奥さんが割ぽう着を着たので、頼むからそんな所帯じみた格好はやめてくれ、と懇願した、という話。筒井康隆がそれを読んで、自分なら一日じゅう仕事をしないで台所に座ってそんな奥さんの姿に見とれるのになあ…って、そんな話書いてませんでした?

 なんにしろ、現実はアニメじゃないし、作家のエッセイはたいてい話を「盛って」いるので、そういうものにもとづいて想像していては、現実に結婚生活で苦労している人たちのことはわからないんだろう。

 老母とレトルトのカレー、半分コ。ぼくの社会性は、まあその程度だね。日が暮れて、一日が終わる。静かに暮らしたい。


岩崎宏美 シンデレラ・ハネムーン