俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

カンパリソーダとフライドポテト~仲間はほとんどみんな結婚して大人になってしまった

 では文化はどのように創建されるのだろうか。仮に法や秩序のないところで個としての人間同士が対峙する場面を想像してみよう。人間にとって他者は自己確証の手段であり、互いに自分が主人公となり、相手を奴隷とすべく闘争が繰り広げられるだろう。こうした不安定な関係は集団となっても変わりはない。このような集団を安定させようとするならば、その手段は唯一、全員一致で一人を殺すことである。しかし、暴力によって下方に排除されたスケープゴートはただちにその被った力を反転させて集団に安定をもたらす例外者としての王として帰還するだろう。集団のメンバーは良心の負い目を抱き、王は垂直の高みから集団に禁止の言葉を発する。ここに法と秩序を持った人間の社会が打ち建てられる。

 

“ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書)

“ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書)

 

  何でもいいが、ずっとおうちにいると、たまに昔の仲間から連絡をもらうのがすごくうれしい。

 ただ、女子の学生・院生たちは、大半がお嫁に行ってしまったし、もう連絡をくれることがない。

 そのうちの一人が、いつだか懇親会のとき、マッサージにこっている話をしていた。評判のいいマッサージ店へ行き、そのやり方をおぼえて、自分でも試しているみたいだった。もうずいぶん前だけれど、そのときは居酒屋の二階だったので、自分も足裏マッサージの実験台にされて、すごく痛かったような気持ちよかったような思い出があって、「凝ってますね…早く身を固めてですね…」とお説教を食らったけれど、もうあっちは忘れてるだろうな。

 ともだち夫婦という言葉があって、そういうの楽しいだろうなあ…と、なんとなく漠然とした憧れがあった。最近もTVをつけていると、大塚製薬のCMかなんかであの懐かしい利重剛さんが中年夫婦の夫の役を演じていて、それがなんとも幸福そうなんだよなあ。

 じっさいに結婚している人は、結婚というのはそういうもんじゃない、と言うのだが、まあそうでしょうな。女の人とケンカになるときのやりきれなさは、経験の浅いぼくでも、なんとなくわかる。いやわからないのだが、よくそういう話は聞く。

 ぼくにとって結婚のイメージって何かと言うと、吉田拓郎だ。これはいい曲だと思うけれど、当時拓郎さんの夫人だった浅田美代子さんがこれを聴いて激怒、というのも、なんとなくわかる。「崩れかけた砂の家」って、何よそれ。と美代子さんが腹を立てたらしい。


hiroshima カンパリソーダとフライドポテト 吉田拓郎