俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

ディープ・パープル「へんな女」~精神分析は「それ当たってる!」といったものではない件

 たとえば、深夜の番組でアイドルに対し精神分析などと称したことをやっているが、あれは単なる性格判断にすぎない。「そう、そうなの、当たってるーっ! 先生、どうして私のことわかるんですか?」などというのは精神分析ではない。むしろ患者が「知らない」とか「わからない」とか「絶対にそれは違う」といった否定的な反応をするときこそ、そこに意識の制御の及ばない無意識の情動が隠されていると考えるのが精神分析的思考というものである。[…]

 

“ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書)

“ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書)

 

  これはその通りなんだろうな、と思いつつ読んだけれど、もう十年も前の本?

 フロイトがもう古いというのはそうなんだろうけれど、一回それを通過して自分なり消化し、「卒業」しておくことは、この意味でも大事だ。もう一か所、

 転移についてはすでに述べたので、ここでは転移関係の切断について説明しておこう。一般に分析関係では、患者は治療者のことを好きになってしまう。これは治療を進展させるのには効果的だが、家族や恋人のような本当の愛情とは違う。いつかは患者に一人立ちしてもらわないといけないのだ。

 そこでフロイトは、患者に金銭を要求することにした。患者は金を払うことで、治療者との関係が特別な愛情関係ではなく、あくまで職業としての治療行為であることをそのつど確認するのである。 

 このへんは、岩波や講談社の心理学の新書をさかんによんでいたころぼくはあんまりわかっていなかったところ。「可愛さ余って憎さ百倍」とばかりに過度の憎悪が治療者に向くこともあり、それは陰性転移というのだそうだ。

 過度の依存、ということだろうか。自立した人間はたった一人の相談相手におのれの全存在を賭けた打ち明け話なんかしないだろう。心理的支柱としてたよれる人を当てにすることがあっても、その度合いは年齢とともに減ってゆくのが普通で、結婚して愛情面の欲求が満たされれば、たいていはそんなにはさみしくなくなる(だろう)。

 いや、ぼくは結婚しなかったのでわからない。今日は茶の間で水原弘「へんな女」を歌ったり、スコット・ラファロのベースの口真似をしたりしてふざけて過ごした。老母は実の母だから大目に見てくれるけど、 ふつうのおうちだとおいてもらえない可能性大である。ディープ・パープルも「へんな女」という曲をやっている。


Deep Purple - Strange Kind Of Woman - Live 1973 (USA, New York)

 

 

Freud: A Life for Our Time

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Nabokov's Mimicry of Freud: Art as Science (Dialog-on-Freud)

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Freud: In His Time and Ours

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