俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

デコポンを買った曇りの日~みんなつながっているが人生は有限だということについて

『羨望』や『リオムパ』は想像されたものが、想像したものを破滅に追い込む小説であり、そこには外部の事物に対する恐怖を読み取ることができる。ここで挙げたような擬人化された事物にも、外部の事物を生きた他者とみなす感覚、外部の事物に対する恐怖を見ることができるだろう。 

 創造物の創造主に対する反逆という物語は、文学史において繰り返されてきたものだ。『羨望』に登場する機械「オフェーリア」は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』やチャペックの『R・U・R』を連想させる。

 

沈黙と夢―作家オレーシャとソヴィエト文学 (ロシア作家案内シリーズ)

沈黙と夢―作家オレーシャとソヴィエト文学 (ロシア作家案内シリーズ)

 

  まだ大学院生のころ、著者の名前は研究室で話題になっていて、それからすこしずっとあとになって本人を知ったのだけれど、もっぱら当時は会っても酒ばっかり飲んでて、こういう肝心なことをいろいろ聞かないままだった。

 ロボットや人造人間のことはずっとぼくの興味でもあったけれど、メアリー・シェリーやウェルズをちょっとかじったくらいじゃ、いかにも基礎が弱い。で、今の今まで来てしまった。

 この5,6年、少し頭を空っぽにしたい気持ちで、ほとんど英語ばかり読んできた。すると、ラッダイト(19世紀初めの英国の機械打ちこわし運動)などとこうしたテーマを結び付けたら面白いんじゃないか、ということでイギリス経済史の本なんかが数冊書架に並んでいる。

 「創造するもの:創造されるもの」の対比が「想像するもの:想像されるもの」というもう一つの対比と微妙にずれつつ文学史をつらぬく。で、小説というのは文学史上の事件であると同時に社会経済史的な出来事でもある、という、さる大先生のことばをここにつなぐと、この「創造」/「想像」のありようの変化が、科学や技術の発展と無関係であるはずがない。

 こうして、みんなつながっている。ロシアにおけるダーウィニズムの本は買って持っているが、書影が出ないな。それを読むべきかもしれない。あるいは、ルィセンコ論争のこと、本気で勉強し直すべきかもしれない。あるいは理系学者としてのクロポトキンのことなど。

 

ロシアの博物学者たち―ダーウィン進化論と相互扶助論

ロシアの博物学者たち―ダーウィン進化論と相互扶助論

 

 

 あるいは、〈反逆〉や〈反乱〉をもう一度考え直すために、スパルタクス、プガチョフ、トゥーサン=ルベルチュールなども。

 

 

 

Pugachev's Rebellion

Pugachev's Rebellion

 
Pugachev [並行輸入品]

Pugachev [並行輸入品]

 

 

The History of Pugachev

The History of Pugachev

 

 

The Black Jacobins: Toussaint L'ouverture and the San Domingo Revolution

The Black Jacobins: Toussaint L'ouverture and the San Domingo Revolution

 
Toussaint Louverture: A Black Jacobin in the Age of Revolutions (Revolutionary Lives)

Toussaint Louverture: A Black Jacobin in the Age of Revolutions (Revolutionary Lives)

 

  これも買ったまま読んでないのは我ながら本当に残念。

 

革命について (ちくま学芸文庫)

革命について (ちくま学芸文庫)

 
ハンナ・アーレント「革命について」入門講義

ハンナ・アーレント「革命について」入門講義

 

  で、お金もさることながら、時間がどうにもならない。7,8冊並行で本を読みつつ、じりじりと時間が過ぎてゆく。まともに読める外国語がたった二つしかない、博士号すらないままの自分。生は有限だということを、いやでも考える。

 老母とケンカ。ほんとうにつまらないことで。怒鳴って悪いことをしたので、デコポンを買ってきた。曇っていて寒く、数日前までの真夏の陽気はどこへやら。でも、五月はこういう天気なんだ。


郷ひろみ 洪水の前