植草甚一さんなど読む世代ではなかったが
どうしてこんなものを書いたんだろう。その簡単な理由は、推理小説が戦後第一次の流行現象をしめし、それを推進させた中心人物は、もちろん江戸川乱歩だったが、そんな流行現象の波に乗ったぼくは、何とかして泳ぎ切ってみようという気持ちになったからである。
そうなったのは戦後しばらくしてアメリカ映画の試写が新橋の兼坂ビルの一室で、一週間に何回もあり、それはいつも朝の十時から映写開始されたが、それが終わって試写仲間の五人がいっしょに新橋の河っぷちにさしかかったときに始まった。
この川は埋められてしまって、今は跡形もないが、たしか五軒のシロウト古本屋が十一時をすぎたころ並んで店を出し、進駐軍に出はいりしているクズ屋から仕込んだペーパーバックなどアメリカの本ばかり売っていた。[…]
これ文庫で出てるのか。ぼくが持ってるのは単行本で、しかも数年前買った。そんな昔じゃない。たしか買ったのには理由があったはずだが、よく覚えていないんだ。誰かの研究報告にすごくマニアックな英米ミステリのことが出てきたりして、それで買ったのだろうか。
何しろ古本話には弱くて、上に書かれているのはぼくが知りようもない戦後すぐの東京の洋書古本事情で、ああうらやましい。
ただ、もう古本屋はバタバタ潰れていく時代で、紙の本に執着のあるぼくですら、今冬、洋古書を注文しかけて、まてよ、とアマゾンを検索、同じ本がキンドルで数百円で買えるのを知って、注文を思いとどまったことがあった。これだもの、古本屋さんも、大変なはずだ。
また、戦後の進駐軍の兵隊さんの読み捨て用の本については、たしかわが北海道生まれの山口昌男さんも書いておられたと思う。手伝いに動員されてキャンプに行き、落ちているペーパーバックを弁当箱に忍ばせて持ち出すとか、そんな話を語っておられなかったか。
ぼくも大学院生時代、H・G・ウェルズを読む必要があって図書館の書庫へ入ったが、ろくな本がなく、ようやく見つけた『モロー博士の島』は丸めてポケットに突っこめるようになっているいわゆるGI文庫だったので、何だか途方もない昔に連れ戻された気分になったのだった。
ともあれ、推理小説という流行現象の波、というところ。それに乗ってしまった著者が、それを「何とかして泳ぎ切ってみよう」というところが、いいねえ。そうでなくっては物書きになどなれんだろう。
パソコンのSSD換装、うまくいかず現状で戻されてきた。HDDが2TBなので、たとえデータ量が数百GBで余裕があると思っても、容量の小さなSSDにクローン作業をするとエラーが出てしまってうまくいかないんだとか。